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歴史上の人物の伝記、もしくはその人物に関する調査・研究、エッセイ、小説。既存の創作作品(小説・映画・絵画・漫画・アニメ等)中の登場人物についての論考・エッセイ類も含みます。
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祝!奇才・岡本太郎 「明日の神話」 再生!

ここは渋谷。 (写真は天気予報でもおなじみ) 京王線連絡通路へ向い・・・ エスカレーターを上り、JR方向へ。 右前方にあの巨大壁画が見えてきます。 これが「明日の神話」 中央は「燃え上がる骸骨」 縦5.5メートル×横30メートルの巨大な壁画。 設置初日の昨日は、 道行くほとんどの人が写真に収めていました。 ただただ圧巻の一言。 警備員さんと比べると、こんな感...

JERRY-LOVE 天勉也の 「愛と死を見つめて」 | 2008.11.18 Tue 00:06

祖父一平の章/5 いま入澤姓(5)

入澤二郎氏によると、入澤家は江戸中期以降、代々、製鐵業(鑪)と農業に従事してきた、とのことだ。 ところが、川崎喜一氏から岩町氏に示された入澤家系図中にある奇妙な記述に、岩町氏は着目する。 それは、祖父一平の兄・信就の項の記述だ。 信就寛政二庚戌(1790年)誕生 幼名才吉 平次雄八後出家号教信 當此時土居家名滅亡 □佐屋ニ住ス 左各〈( )内は筆者、□印は正解不能〉 (『評伝 島村抱月』) 祖父一平より5歳年長の兄・信就は、幼名を才吉、長じて平次雄八と名乗り、その後に出家して教信と号す。このときに当たり、...

抱月Blog | 2008.10.24 Fri 07:29

祖父一平の章/5 いま入澤姓(4)

入澤二郎氏から岩町氏にもたらされた情報として、もうひとつ家紋がある。 堤城跡の石碑にある折敷に一文字の家紋は、入澤家の家紋であるとともに、佐々山一平家の家紋でもある、と入澤二郎氏はいう。 しかし岩町氏はこの二郎氏の説に疑問を覚える。 というのも、浜田市元浜町地久寺境内に、佐々山寛一(抱月の実弟)が、昭和6年(1931年)6月に建てた墓石があり、その正面には「佐々山分家之墓」と、家紋は「菱四つ目紋」が刻まれているのだ。 *注:1931年……風間丈吉(29歳)・岩田義道(33歳)ら、共産党中央部を再建/幣原喜重郎(59...

抱月Blog | 2008.09.27 Sat 17:07

もしも、あの豪傑が・・・

引き続き、速水さんのピラミッドの番組を見て考えた事を書き綴りたいと思います。もしもの話です。あの歴史上の人物が言ったあの一言。あの一言が違っていたら、歴史は変わっていたのではないかという・・・妄想です。例えば、かのユリウス=カエサルが死に際に言ったあの一言。「ブルータス!お前もか!!」これが、「なんだ。ただのブルータスかよ。」とかだったらどうしよう。ある意味、超豪傑。11月からワーナー・マイカルで上映される『レッド・クリフ』。『三国志』史上、もっとも有名な出来事である、赤壁の戦いを描いた作品です。...

HARU*LIFE | 2008.09.17 Wed 22:00

エド・はるみ!猛反撃

エド・はるみ の自伝的エッセイ『成人式は二度終えております』の発売記念握手会が6日(土)行われた。およそ300人のファンが詰め掛けたとのこと。 エド・はるみ は、丁寧に握手に応じていたようだ。 このエッセイ『成人式は二度終えております』は、下積み時代からバツイチの真相まで赤裸々に描かれている。 エド・はるみ のエッセイは、執筆に2〜3ヶ月かかったそうだ。 エド・ハルミ は、報道陣に印税の使い道について聞かれると「考えたことが無い。」と答え、質問したリポーターの名前をしっかり確認。 エド・はるみ は、...

NEWSアップ | 2008.09.13 Sat 20:41

祖父一平の章/5 いま入澤姓(3)

入澤二郎氏への取材にもとづいて、岩町氏は入澤家と佐々山家の系図を次のようにまとめている。 兄・信就の三男・小右衛門と弟・一平(=祖父一平)の長女・ツヤの結婚は、一平の長男・半三郎が幼少であったため、小右衛門が婿養子として佐々山家に入った。 小右衛門とツヤの間には、小太郎という子が生まれた。 だが、小右衛門が死亡したため、ツヤは信就の二男・真胡七と再婚した。 このとき、小太郎は一平・二男として佐々山家に残し、ツヤは単身で入澤家に嫁した。 そして、小太郎の成人するのを待って、小太郎は入澤家に養子...

抱月Blog | 2008.08.23 Sat 12:47

祖父一平の章/5 いま入澤姓(2)

岩町氏は戸谷村を再訪するにあたり、祖父一平生誕当時(寛政07年=1795年/抱月-76歳)の史料を探したが、文政年間(1818年〜1830年)に記録した『芸藩通志』しか見つけることができなかった。 *1795年……将軍=11代・家斉(22歳)/(参考:松平定信、老中辞職の2年後)円山応挙(63歳)没/清、貴州苗族の乱(〜'98年)/英軍、ケープ植民地を奪取/プロイセン・オーストリア・ロシアによるポーランド第3次分割(ポーランド消滅) その『芸藩通志』の戸谷村については、次のように引用されている。 広二里余 袤(ルビ「ぼう」・長さ)二里 土...

抱月Blog | 2008.08.09 Sat 14:42

祖父一平の章/5 いま入澤姓(1)

出張上京で中村星湖氏・島村聰氏との面談を果たした岩町氏は、ほどなく再び久佐の浄光寺を訪ねて仰天する。 本堂の軒に冬にはなかった真新しい半鐘が吊るしてあり、その半鐘には次のような銘文が刻まれていたのだった。 南無阿彌陀佛  献主 入澤一平            入澤二郎 昭和四十六年三月二十五日 佐々山一平は安芸国山縣郡戸谷村住人入澤家に生る 後年石見国那賀郡久佐村の鈩親方佐々田家に迎えられ 入澤姓を佐々山に改め 佐々山一平と称す 抱月は一平の長男にして 後島村家の養子になり 島村抱月と称す ...

抱月Blog | 2008.07.19 Sat 13:38

祖父一平の章/4 生誕百年(4)

岩町氏は遂に念願の島村聰(とし)氏(=抱月三女)と、荻窪駅前の喫茶店で会う。 だが、懸案の「祖父一平の出身地の謎」について、聰氏から手がかりを得ることはできなかった。  亡父から聞いたことといえば、――雪の降る夜、お酒を買いに行かされ、狼の遠吠えを聞いて、とっても恐かったという話位のことです。  それ以外のことは、――故意にか偶然か、私達子供に、故郷のことは、何一つ話しませんでした。  唯、叔父(瀧太郎実弟雅一)は、祖父一平と言う人は山師で、とってもスケールの大きい男で、――なんでも鐵山の労務課長のよう...

抱月Blog | 2008.07.12 Sat 12:15

祖父一平の章/4 生誕百年(3)

岩町氏は夜行寝台で出張上京したその日に中村星湖氏を訪ねるのだが、その前に雑司ヶ谷霊園にも立ち寄っている。もちろん抱月の墓に参るためだ。 中村星湖氏は、大正7年(1918年)の『早稲田文学』12月号の『島村抱月追悼号』巻頭に「抱月先生を葬るの記」を寄せている。  八日の午后には、雑司ヶ谷の共葬墓地で埋骨式が行はれた。私が嘗てしば/\歩いた頃とは大分様子が変つてゐた。知名の文人で芸術家で、そこに葬れた人には、小泉八雲を始めとして、夏目漱石だの、今村紫紅だの、なほその外に澤山あるだらう。わが抱月先生もつひ...

抱月Blog | 2008.07.04 Fri 17:28

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