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JUGEMテーマ:八重の桜 先月(2013年4月14日)、「八重の桜ウォーク」に参加してきました。コースは「鳥羽伏見の戦い」。13?を歩く健脚向きのウォーキングです。集合場所は伏見にある「藤森神社」菖蒲の節句発祥の地だそうです。すでに大勢の人が集合されています。参加記念のピンバッヂをゲットしました。「Ben-Ke」って何?と思ったのですが、新島襄が飼っていた猟銃犬(ビーグル犬)「弁慶号」の名前をマスコットキャラクターにしたものだそうです。新島襄の趣味は狩猟だったそうです。これは意外!さて、この日のウォーキングは50...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.13 Mon 20:35
JUGEMテーマ:八重の桜慶応3年12月9日(1867年1月3日)未明、武装した薩摩藩が御所に向かいました。それに待機していた芸州藩、尾張藩など5藩が追随し、御所の9門が固められました。御所は倒幕派に完全に奪われ、4年前の「八月一八日の政変」の立場とは逆になって会津藩は門の外におかれました。幕府方の要人立入りを禁止したあと、京都御所の御学問所において、まだ幼い明治天皇のご臨席のもと「王政復古の大号令」が発せられました。御学問所それは、幕府と京都守護職などを廃止、摂政関白などの役職も廃止して、新たに総裁・...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.13 Mon 20:32
JUGEMテーマ:八重の桜 1867年11月9日(慶応3年10月14日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に上奏し、翌10日(旧暦15日)に天皇がこれを勅許(ちょっきょ 天皇がきょかすること)しました。1868年1月3日(慶応3年12月9日)、朝議が終った後、土佐藩・薩摩藩など5藩の兵が京都御所を封鎖した。そして、岩倉具視らが参内し、新政府の樹立を決定、「王政復古の大号令」が発令されました。徳川家を守ろうとした会津は、境地に立たされます。二条城二の丸(大政奉還がなされた二条城)二の丸庭園二条城唐門山内容...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.13 Mon 02:38
JUGEMテーマ:八重の桜松平容保に従って京に上った山本覚馬は、西洋式軍隊の調練に当たるとともに、藩主に建言して京都に洋学所を開きました。しかも会津藩士のためだけでなく、他藩の藩士にも広く門戸を開いたと伝わります。 その洋学所の場所についてははっきりとは分からないようですが、京都府庁の北にある浄土真宗のお寺・長徳寺ではないかと言われています。 長徳寺長徳寺の前には「会津藩洋学所跡地」の石標が建っています。元治元年(1864)蛤御門の変が起こったこの年、会津藩士・山本覚馬は長徳寺内に洋学所を開設し、京...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.10 Fri 07:21
JUGEMテーマ:八重の桜 会津若松市から白河市に続く道を「白河街道」といいます。会津五街道のひとつで、江戸時代には会津藩の参勤交代に利用されました。5月5日放映の「八重の桜」で、八重と川崎尚之助はこの街道を歩いていました。猪苗代湖この日はあいにくのお天気のため、山が見えませんでした。晴天なら、八重たちが見た安達太良山が見えたのでしょうか?それとも磐梯山かな?ドラマの中で、八重たちは福良宿に泊りました。福良宿白河街道の宿場町である福良宿には「御本陣」があり、藩主が参勤交代の際に宿泊しました。今は...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.07 Tue 21:44
そういえば、八重の桜に剛力彩芽がでるみたい 色んな話題づくりに余念が無いな〜!剛力彩芽も 八重の桜で腕試しだ〜〜!! JUGEMテーマ:八重の桜
うららか日記 | 2013.05.06 Mon 11:27
JUGEMテーマ:八重の桜福島県白河市は、古くから関所がおかれて奥羽の玄関口として栄えた所です。ここに奥羽への入口を守る白河小峰城がありました。白河小峰城は、阿武隈川の南岸に面した小峰ヶ岡と呼ばれる丘陵(標高370m)に築城された梯郭式平山城で、南北朝時代の武将である結城親朝によって興国年間(1340〜46)に築城されました。これが城郭としてのはじまりといわれています。その後、白川氏、蒲生氏、上杉氏を経て、、寛永4年(1627)に初代白河藩主となった丹羽長重により、近世城郭へと大改築されました。当時の城郭の範囲は東北...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.06 Mon 09:06
JUGEMテーマ:八重の桜 この神社から案内板に沿って歩いて行くと、津の守弁財天と策の池(むちのいけ)があります。 徳川家康がタカ狩りの時近くにあった井戸水で策を洗ったので策の井戸と呼ぶとか。 策の池 江戸時代の古書「紫の一本(ひともと)」によれば徳川家康がタカ狩りの時近くにあった井戸水で策を洗ったので策の井戸と呼び、澄んだこの水が高さ四メートルに及ぶ滝となりこの池に注いでいたので策の池と呼ばれ「十二社の滝」「目黒不動の滝」「王子名主の滝」等と並び江戸八井のひと...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.05 Sun 09:43
JUGEMテーマ:八重の桜松平容保生誕の地は、現在の新宿区荒木町にありました。 荒木町のほぼ全域が松平摂津守の美濃高須藩上屋敷だったといいます。 東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅から三菱東京UFJ銀行を目指し、その角を曲がるとこから靖国通りまでの道が津の守坂通りとなっています。 「津の守坂」の由来は、は美濃高須藩主松平摂津守(高須藩祖・松平摂津守義行)から来ています。松平摂津守義行は、尾張藩主・徳川光友の三男で、母は徳川家光の長女・千代姫です。 荒木町と三栄町の境を靖国通りの手前までくだる坂...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.04 Sat 14:26
JUGEMテーマ:八重の桜 東京の築地市場駐車場前に軍艦操練所跡の案内板があります。 軍艦操練所跡 ペリーによる黒船艦隊の来航後、西洋式海軍の必要性に迫られた江戸幕府は、安政四年(1857)4月、旗本や御家人、諸藩の藩士等から希望者を集めて、航海術・海上砲術の講習や、オランダから輸入した軍艦の運転を練習させる目的で軍艦教授所(後の軍艦操練所)をこの地にあった築地講武所内に創設しました。 万延元年(1860)正月に講武所が神田小川町(現在の千代田区)に移転をした後には、跡地一帯は軍艦操練所...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.02 Thu 01:40
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