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JUGEMテーマ:八重の桜京都府庁旧本館 春の一般公開(観桜会)で、「八重とその時代」展として、パネル展示を行っていました。撮影OKでしたので、パネルと説明板を写してきました。 by しずか FC2ブログランキング参加中! 投票にご協力ください⇒FC2 Blog Rankingクリックお願いします。
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.24 Fri 23:13
JUGEMテーマ:八重の桜 京都市伏見区京町に、明和元年(1764)創業の老舗の料理店「魚三楼(うおさぶろう)」があります。この店は、御香宮神社と伏見奉行所の近くにあり、伏見の戦いで格子についた弾痕が今も残されています。伏見の戦いで、町の南半分が焼失して焼け野原になったそうですが、幸いにして魚三楼は焼失を免れました。でも、よく保存されたものですね〜 by merryFC2ブログランキング参加中! 投票にご協力ください⇒FC2 Blog Rankingクリックお願いします。
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.24 Fri 22:30
JUGEMテーマ:八重の桜 京都市伏見区大坂町に伏見御堂があります。今は本堂らしき建物はありませんが、幕末には創建当時(慶長年間)の建物がありました。伏見の戦いの前夜、会津藩士はこの伏見御堂に宿陣しました。山門会津藩駐屯地跡(伏見御堂)伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しました。本堂は、徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられています。<中略>幕末の慶応4年(1868)1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.24 Fri 22:28
JUGEMテーマ:八重の桜薩摩藩が陣取る御香宮神社の目と鼻の先に伏見奉行所がありました。ここに会津藩と新選組は布陣し、御香宮神社の薩摩藩と激しい攻防を繰り広げました。しかし御香宮神社の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が伏見奉行所を直撃。伏見奉行所は炎上し、焼け落ちました。会津藩士や新選組隊士たちは刀を振りかざして薩摩軍陣地に斬りこみましたが、近代兵器の前には為す術もなく、総崩れとなりました。伏見奉行所跡の石標は桃陵団地の中にあります。 by merryFC2ブログランキング参加中! 投票...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.23 Thu 20:07
JUGEMテーマ:八重の桜 吉井さんを見た翌日は二本松市へ足を伸ばしてきました。 城址公園があるし、先日「八重の桜」でも二本松の男の子達が出て来たから、 母といいじゃん!って話になりまして。 劇中に出て来た鉄砲を習っている少年達は、 後の戊辰戦争で志願兵になります。 「二本松少年隊」として有名ですね。 みんな死んじゃうんだぜ(´;ω;`) さて、当日、電車に乗ってたら途中で緊急停車。 「線路に人影が認められたため緊急停車しました」とのこと。 もしや、グモ。。。!? ※グモ=人身事故 と思いきや...
梨畑からの手紙 | 2013.05.22 Wed 22:32
JUGEMテーマ:八重の桜 一方伏見では、御香宮神社に薩摩軍陣地が置かれました。御香宮神社鳥居表門御香宮神社に代々伝わる話によると、開戦前、幕府軍が「徳川氏陣営」と書いた木札を社の表門に立てたそうです。そこで当時の宮司・三木善郷が御所にご注進したところ、翌日には薩摩の使者が来て「徳川氏陣営」の木札を取り外し、さらに薩摩軍が裏山に大砲を運び込んだそうです。幕府側にしてみれば、伏見奉行所を見下ろす位置にある御香宮神社はぜひとも押さえたい陣地だったのに、悔しかったでしょうね。拝殿本殿伏見の戦い跡の碑...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.22 Wed 21:43
JUGEMテーマ:八重の桜城南宮から小枝橋の石標を通って歩いて行くと、すぐ近くに鳥羽離宮跡公園があります。鳥羽離宮は、平安時代後期に白河上皇が院御所として造営し、のち鳥羽上皇に引き継がれて完成した壮大なスケールの離宮です。今はほとんどその形跡を見ることはできませんが、公園の北にある小高い丘は、鳥羽離宮南殿の庭園の築山「秋の山」の名残です。その築山に鳥羽伏見の戦いの石碑が立っています。この石碑は明治45年に貴族院議員によって建てられたものです。そこには「賊遂潰走」の文字が見られます。勝てば官軍と言い...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.21 Tue 22:07
JUGEMテーマ:八重の桜 城南宮の西側鳥居から西に歩いて150mほどの所に、鳥羽伏見の戦いの勃発地となった小枝橋跡の石標があります。鳥羽伏見の戦い 勃発の地<前略>城南宮には、薩摩藩の野津鎮雄らが大砲を備えて布陣し、竹田街道を北上してきた桑名藩と幕府大目付・滝川具拳が小枝橋を渡ろうとするのを、薩摩藩兵が阻止して談判の後、ついに薩摩側から発泡した。この一発があたかも合図となって戦端はひらかれ、鳥羽と伏見の両方面で激戦が展開された。< 後略>「将軍様が勅命で京に上るのだから通せ」という幕...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.21 Tue 10:52
JUGEMテーマ:八重の桜京都市伏見区にある安楽寿院や城南宮一帯は、平安時代後期に白河上皇によって鳥羽離宮が造営された地です。幕末、ここが新政府軍の陣地となり、大阪から京に向かって鳥羽街道を北上してきた幕府軍との激戦の舞台となりました。これが鳥羽の戦いです。 安楽寿院城南宮城南宮拝殿城南宮の東側と西側の鳥居の間には、長い参道があります。城南宮東側鳥居城南宮西側鳥居新政府軍はこの長い参道に銃隊や砲台を配して布陣したと伝わります。ここ城南宮から、明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.19 Sun 22:23
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