[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""]
JUGEMテーマ:八重の桜両国公園から東へ1Kmほど行ったところに、 墨田区の坂田建設の前に「勝海舟揺籃の地」の碑が建てられています。揺籃とは幼児期のことをいいます。父・小吉は本所南割下水内で何度か転居し、海舟が9歳の時に本所入江町の旗本・岡野孫一郎の敷地で過ごしていたそうです。(ここには、説明板はありません。)次は、赤坂の勝海舟邸跡を紹介します。赤坂氷川神社から、本氷川坂(もとひかわざか)を下ると、坂の 右手に勝海舟の旧宅を示す標示板があります。 勝海舟邸跡の記 港区赤坂6丁目10番39号の「ソフトタ...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.06.04 Tue 22:07
JUGEMテーマ:八重の桜勝海舟は文政6年(1823)旗本・勝小吉の長男として江戸本所(東京都墨田区)に生まれました。旗本とはいうものの、下級武士であるため、貧しい少年時代を過ごしたといいます。 両国公園の一角に生誕の地の碑が建っています。勝海舟生誕の地の碑しかし貧しい少年時代でありながらも、島田虎之助に直心影流の剣術を学び、また永井青崖に弟子入りして蘭学を学びました。神社の境内で夜通し剣術の稽古をしたという牛嶋神社跡剣の師匠の勧めで禅修行にも励んだという弘福寺万延元年(1860)勝海舟は、福沢諭吉らととも...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.06.03 Mon 20:08
JUGEMテーマ:八重の桜 愛宕山にある愛宕神社は、1603年、徳川家康の命により、江戸の防火の神様として祀られました。家康が信仰し、天下とりの祈願をかけた勝軍地蔵菩薩、巳年・辰年の守り本尊の普賢大菩薩が祀られています。当社は、勝海舟と西郷隆盛による江戸城の無血開城にもゆかりがあります。3月13日、勝が西郷を誘い、江戸城明け渡しについて話すべく、明治元年、家康公ゆかりの当山に登り、江戸の町を見渡しました。そして、どちらから言い出すともなく、「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」と話し...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.06.03 Mon 00:05
JUGEMテーマ:八重の桜 江戸時代の芝周辺には多くの大名屋敷がありました。その数ある大名屋敷の中でも、薩摩藩の上屋敷は、周辺地域最大の規模を誇るものでした。現在その場所には、NEC本社ビルやセレスティンホテルなどが立ち並んでいます。ビルの横には、「薩摩屋敷跡」の石標があります。広大な薩摩藩上屋敷跡のほぼ中心にあたる場所には「芝さつまの道」のモニュメントが建っています。またJR田町駅に行く途中には、勝海舟と西郷隆盛が会見した記念モニュメントがあります。田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)付近沿革案内この敷...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.06.02 Sun 21:09
JUGEMテーマ:八重の桜 京都市伏見区納所北城掘に妙教寺があります。ここは、秀吉の側室「淀殿」が城主となった「淀城」があった場所です。江戸時代に築城された「淀城」と区別するため「淀古城」と呼ばれます。史跡の碑「淀古城」の左に書かれているのは、なんと「戊辰役砲弾貫通跡」・・・妙教寺の本堂には、鳥羽伏見の戦いの時に飛んできたという砲弾の跡が残っているそうです。但し、本堂の中には入れませんでしたが・・そして境内には、榎本武揚の揮毫による「戊辰役東軍戦死者之碑」があります。榎本武揚は新政府への徹底抗...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.06.01 Sat 15:53
JUGEMテーマ:八重の桜鴨川に沿って鳥羽街道を下ると、下鳥羽で桂川と合流します。鴨川下流。橋のある辺りが合流地点。合流手前の鳥羽街道に面して、法傳寺が建っています。(伏見区下鳥羽三町)この辺りも鳥羽伏見の戦いの激戦地で、引き取り手のない多くの戦死者を、地元の人が近くの悲願寺墓地に埋葬したと伝わります。法傳寺の横隣には「戊辰東軍戦死之碑」があります。 法傳寺には、会津藩使用の武器や、東軍戦死者名簿が残されていますが、公開はされていないようです。 ...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.31 Fri 19:21
JUGEMテーマ:八重の桜上野公園と言えば、真っ先に浮かぶのは西郷隆盛の像。着物を着て犬を散歩させている姿は、西郷さんの温和な一面を表しています。しかし幕末、
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.30 Thu 12:10
JUGEMテーマ:八重の桜 京都市伏見区に淀城址があります。淀城は江戸時代初期、2代将軍・徳川秀忠によって桂川、宇治川、木津川の三川が合流する水陸交通の要所に築城されました。その後約250年間、代々大名の居城として太平の世を過ごしましたが、幕末、この地が戦いの舞台となりました。千両松の戦いに敗れた幕府軍は、後方の淀城に向かって退却し、そこで再び反撃の機会を伺おうとしたところ、なんと頼みとする淀藩が門を閉ざして、幕府軍の入城を拒否したのです。幕末当時の城主は徳川幕府の老中であった稲葉正邦。淀藩稲葉...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.28 Tue 21:35
JUGEMテーマ:八重の桜 鳥羽伏見の戦い初日は、新政府軍の圧倒的強さの銃撃に阻まれ、幕府軍は惨憺たる敗北を喫しました。翌4日も幕府軍は必死の反撃を試みて一時は盛り返しましたが、新政府軍の反撃を受けて富ノ森へ後退を余儀なくされました。そして5日、幕府軍は態勢を立て直し、伏見街道千両松に布陣して、追撃してくる新政府軍を迎え撃ちました。 戊辰役東軍戦死者埋骨地しかし宇治川の左岸や右岸には池や沼地が広がり、川に沿った狭い堤防道での戦闘は凄惨を極め、両陣営とも多くの犠牲者が出たといいます。激戦の末、また...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.27 Mon 19:22
JUGEMテーマ:八重の桜慶応4年(1868)1月3日鳥羽・伏見の戦いが勃発。戊辰戦争の始まりです。5日、錦旗が新政府軍に掲げられ、会津藩は、朝敵へと転落しました。幕府軍は、官軍に惨敗。徳川慶喜は、密かに大阪城を抜け出して、幕府軍艦「開陽丸」で、板倉勝静・会津松平容保・松平定敬などを連れて、江戸へと向かいました。慶喜が開陽丸から、下船したのが、浜離宮恩賜庭園の将軍お上り場で、ここで、勝海舟に迎えられたといいます。浜離宮から馬で江戸城に戻り、その後上野の寛永寺大慈院において謹慎することとなります。現在、この地...
大河ドラマ「八重の桜」の舞台を訪ねて | 2013.05.26 Sun 22:59
全207件中 91 - 100 件表示 (10/21 ページ)