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JUGEMテーマ:大河ドラマ 勝竜寺城は、現在の京都府長岡京市勝竜寺にあった城で、細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として知られています。 天正6年(1578年)8月、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)がこの城で結婚式を挙げ、2年間新婚時代を過ごしたとされています。 後年の山崎の合戦では明智光秀がここに本陣を構えました。 細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が城主となったが、翌天正10年(1582年)、本能寺の...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.08.23 Tue 07:00
JUGEMテーマ:大河ドラマ 二の丸南門を出て、松代城の東側へ この日は、快晴に恵まれ、澄み渡った青空が広がっていました。 東不明門と東不明門前橋 橋本丸東側には、「東不明門」と呼ばれる櫓門がありました。当時の門礎石は保護のために地表下30cmに埋設し、レプリカの門礎石で門のあった位置を示しています。通常この門は閉じられており、太鼓門前橋などが崩落し利用出来なくなった時などに通用門として門が開...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.21 Sun 22:51
JUGEMテーマ:大河ドラマ 本丸北東には、北不明門があります。 北不明門 本丸の裏口(搦手)に位置する門です。太鼓門と同様に櫓門と表門(枡形門)の2棟による構成でした。 18世紀中頃に行われた千曲川の改修以前は、門が河川敷に接していたことから、『水之手御門』と呼ばれることもありました 。 絵図史料をもとに、当時の門礎石をそのまま利用して忠実に復元しました。櫓門は石垣に渡らずに独立しており、中世的な様相を残した松代城の特徴的な門です。 北不明...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.21 Sun 22:41
JUGEMテーマ:大河ドラマ 北西には戌亥櫓台(いぬいやぐらだい)があります。 野面積みで積まれたこの櫓台の石垣は、城内では最も古い石垣で、石垣の上は展望台になっています。 石垣 松代城は、本丸の周囲や出入口などの重要な部分に石垣を用いました。大小さまざまな自然石を巧みに積み上げた、たいへん特徴的なものです。とくに本丸北西の戌亥隅櫓の石垣は松代城内でも古い近世初頭のものと言われており、その高さと勾配の美しさは、当時の石工の技術の高さを物語...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.21 Sun 16:53
JUGEMテーマ:大河ドラマ 太鼓門をくぐって城内へと進んで行きます。 本丸御殿跡 本丸内には、江戸時代中頃まで政庁や藩主の住居のための御殿がありました。調査では、建物礎石や井戸跡、焼けた土壁など、享保2(1717)年の火災で焼失した御殿の痕跡が多数見つかっています。 しかし度重なる水害の影響により、明和7(1770)年に城の南西に位置した花の丸に御殿を移しました。(案内板より) 海津城跡の碑 武田信玄時代の「海津城址」の碑が...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.21 Sun 16:44
JUGEMテーマ:大河ドラマ 続いて伏見桃山城へ向かうことにしました。 古地図を購入したお店から坂道を登り、歩くこと20分桓武天皇柏原陵の入り口が見えてきました。 在世中に宇多野(うたの)への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ卜占によって賀茂神社の祟りであるとする結果が出された改めて伏見の地が選ばれ、柏原陵が営まれた。『延喜式』に記された永世不除の近陵として、古代から中世前期にかけて朝廷の厚い崇敬を集めた。柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さ...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.21 Sun 16:40
JUGEMテーマ:大河ドラマ 今から50年余り前の1964年、京都市伏見区の地に遊園地「伏見桃山キャッスルランド」がオープンしました。 その時に、遊園地のシンボルとして伏見城をイメージした模擬天守・伏見桃山城が建てられました。 しかし1978年をピークに年々入場者が減少し、2003年閉園となりました。 閉園後、伏見桃山城は取り壊されるという話もあったのですが、保存したいという市民の願いもあり、伏見のシンボルとして引き継がれました。 2年前(20...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.08.18 Thu 19:03
JUGEMテーマ:大河ドラマ 京都市伏見区にある「桃山東小学校」の校庭に、伏見城の石垣があります。 昭和52年(1977)、ここよりすぐ北の土地区画整理事業の作業中に、偶然伏見城の石垣列が、それも100m以上にわたって見つかったそうです。 そのうち15mがここ、桃山東小学校の校庭に移築・復元されました。 石垣が発見された場所は、木幡山に築城された伏見城の東南外壁にあたり、惣構の遺構だと考えられているそうです。 by めりい ...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.08.16 Tue 17:38
JUGEMテーマ:大河ドラマ 一昨年のことですが、伏見の武家屋敷の古地図を買いに伏見区桃山まで行ってきました。 伏見城を中心に全国各地の武将の屋敷や街道、河川を描いた伏見町誌付図「豊公伏見城ノ圖」です。 この地図は、文禄3年(1594年)の伏見城が完成した当時に作られた地図なのだそうです。 これは、桃山時代、大名屋敷が立ち並んだ伏見城城下町の地図を、京都市伏見区の郷土史家の藤林武さんが伏見町誌付図「豊公伏見城ノ圖(ず)」を基に作り上げた地図で、景勝町(上杉景勝)、...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.16 Tue 15:30
JUGEMテーマ:大河ドラマ 松代城は、武田信玄と上杉謙信の北信・川中島地域をめぐる川中島合戦で、武田側の拠点として山本勘助に命じて築いた城です。 甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされています。 三方を山に囲まれ、千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城」や「貝津城」とも呼ばれました。 また「茅津城」(かやつじょう)とも言われ、茅の生い茂った地であったと伝える説もあるそうです。形式は輪郭式平城。 松代城と呼ばれるようになったのは、江戸...
大河ドラマを追いかけて | 2016.08.16 Tue 15:11
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