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JUGEMテーマ:千葉 市原市松ヶ島緑地 喜兵衛新田堤 喜兵衛新田の開拓にあたって、 ・元々は養老川の砂州という地質 ・水の枯渇による既存の田畑との「水争い」 ・集落から田畑までの距離 など、悪い条件が重なり、結局は近隣の村に権利を叩き売った、というのが実情ではなかったか? あるいは、現地視察をした小折村喜兵衛はそのような実情を当初から見抜き、養老川水運の権益拡充のために江戸幕府から耕地開発を求められていた困っていた藩に貸を作ったか? いず...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.03.03 Wed 10:40
JUGEMテーマ:千葉 養老川東岸 五井川岸稲荷神社境内 浅間神社 江戸湾を航行してきた船が、上総の養老川に到着。 そのときのアテ(ランドマーク)になったのが、東岸と左岸の稲荷神社 とくに、汐待や風待ちをして夕刻を過ぎてしまったときに稲荷神社の灯篭は座標を確認するときの大きな目標になったであろう。 とくに東岸の稲荷神社は厳島神社の御神木ともにおおっく灯された篝火によって接岸する岸を確認したのではなかったか。 その川岸稲荷神社には富士浅間神社が勧請されている。 &n...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.28 Sun 14:00
JUGEMテーマ:千葉 養老川河口の新田開発−喜兵衛新田− 暴れ川であった養老川。 とりわけ、安須より下流は平地になるため大水のたびに流路が変わり、流域住民の苦労はいかほどであったか。 [以下、青柳至彦『いちはら 歴史の散歩道』第103話 旧・喜兵衛新田の由来、pp.102を参照) 250年ほど前には松ヶ島ち出津の間を枝流がとおり、しだいに流砂が堆積し現在の青柳北のあたりには洲が広がっていった。 天保7年(1836)、小折村の喜兵衛が、この葦の茂る荒れた土地の開発を藩に申し出て ...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.27 Sat 11:02
JUGEMテーマ:千葉 市原市 養老川河口西岸 玉前稲荷神社 養老川河口には、右岸左岸に稲荷神社(3社)と厳島神社(2社)が建っている。 養老川東岸には、川岸稲荷神社と厳島神社が建っている。 川岸稲荷神社は、享保十三年(1728)に有馬家代官であった粟原市之右ェ門が湊新田(今の川岸)に勧請。 江戸御上館の稲荷と同号の幸稲荷・冨貴稲荷とよばれた。 (市原市五井 大宮神社HPより) 有馬家は北筑後久留米を居城とし、江戸上屋敷は現在の三田一丁目、増上寺の南...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.25 Thu 15:18
JUGEMテーマ:千葉 五井堤防路 桜の咲く道をのんびり 青空 春の風 桜 長閑な川の風景であるが、養老川は大水のたびに流路を大きく変える川でもあった。 明暦年間(1655〜1657)には、五井西岸で西方向へ分流した(『市原市史』別巻pp.662)。 松ヶ島や玉前には川筋で生きる人々が生活していた。 そこらあたりは、今でも家の基礎部分を少し上げている。 分流で切り離された海のほうの砂州には、よしずを立てかけただけの簡素な小屋掛けした水売りや魚介類の煮...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.20 Sat 09:47
JUGEMテーマ:千葉 市原市五井 稲荷神社の川側に祀られている厳島神社 海の道と川の道との接合点である五井の河岸 袖ケ浦や姉崎、あるいは江戸湾を渡り養老川に入ってきた舟は、 厳島神社 稲荷神社 を左手に見ながら入ってくる。 日が高いときは、神社境内の大樹 陽が落ちて暗くなったときには、厳島神社の灯篭 がアテ(ランドマーク)になったことだろう。 背後には、遠く神田明神の大燈籠の灯が見えて、航行の位置情報を得ていたのではなかったか? 五井の...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.17 Wed 09:45
JUGEMテーマ:千葉 市原市五井 養老川河岸 富貴稲荷神社 江戸深川稲荷社 江戸湾を渡って養老川へ入ってきた舟が、まず目にするのが河岸に建つ富貴稲荷神社。 祭神は倉稲魂命。社殿は、じつに立派。良質の材を使い、大工の腕も一流。江戸の粋を体現している。 享保13年勧請の稲荷神社のその後の発展は、湾の対岸にあたる江戸深川稲荷神社を意識しているのであろう。 深川稲荷は、霊厳寺(江戸六地蔵)のすぐそば、小名木川の南河岸にそって賑わいを見せる仲町、そして深川海辺大工...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.15 Mon 18:35
JUGEMテーマ:千葉 市原市島穴神社旧社地 島穴神社の旧社地については 昔、古墳があり、穴から風が吹いてくる といった言い伝えもあるようで、 しかし実地検分し地表を見た限りでは古墳らしきものはない。 石室を形成したという石材も見つからず、土質も古墳ではないように思う。 市穴神社北の線路わきから、線路わきの畔を通り約150m 微高地に旧社地石碑が建っている。 石祠の屋根は、転用であろう ...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.15 Mon 10:25
JUGEMテーマ:千葉 潤井戸の溜池 旧茂原街道 現在の県道21号 市津郵便局の前を通る道。(市津郵便局は歴史のある郵便局で、古いポストが局内に展示) 白幡神社の角を南に曲がり交番の前の径を進むと、四天王しょう盗異録の舞台となった溜池に出る。 この溜池は元禄時代に設けられたと言われ、かつては奥にもう一つの池があった。 四天王しょう盗異録に記されている「周囲2km」という設定に合致する。 池のそばの神社の鳥居、ということであれば旧街道筋にあった白幡神社 馬琴が...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.14 Sun 13:06
JUGEMテーマ:千葉 市原市東国吉 里山整備 山の整備は チームを形成し 継続的に 計画を立てて 安全第一に 無理することなく 東国吉の里山整備 荒れた山 一度や二度くらいの整備では小笹の繁茂を防ぐことができない もう一度、さらにもう一度 竹や笹は地下茎が残るため、植生を変えるのは難しい 広葉樹が育つための土壌 いつになったらできるか、、、 山の整備は、諦めることなく継続的に行うしかなく  ...
東いちはらエコミュージアム[BLOG 文化歴史] | 2021.02.11 Thu 15:24
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