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JUGEMテーマ:教会キリスト教 お腹を空かした男だけで五千人もの群衆を前にして、主は弟子のピリポに「どこからパンを」と問いかけます。ピリポは自分たちの財布から、と考えますがとても足りません(5−7)。 そこで、アンデレが一人の少年を連れて来て言います。「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」(8−9)恐らく少年は何かの足しに、と思って自分の弁当を差し出したのでしょう。一方アンデレは、「それが何になるのか」と...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.20 Wed 08:47
JUGEMテーマ:教会キリスト教 18節も19節も、激しい憤りを戒めるみことばです。 特に18節は興味深い。「望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。 しかし、殺そうとまで考えてはならない。」 自分の子を懲らしめるのは善いことです。聖書ではそのことについて一貫しています。純粋にその子を愛し、その子が善くなることを願ってのことだからです。しかし、その思いが激しい憤りに変わり、殺意にまで発展してしまうことがあるというのです。 では、どこで、「愛」がそれとは...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.19 Tue 10:42
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスが神の御子であることを証言するもの。?神ご自身、?イエスが行った父なる神のわざ、?聖書。 イエスがお受けにならないもの。人からの証言(と栄誉)。 こうして見ると、「聖書」は「人からの証言ではない」ことが分かります。聖書は神のことばであり、「神からの証言」です。
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.18 Mon 22:39
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「『わたしはあなた(アブラハム)を多くの国民の父とした』と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。」(17) 幼い頃、ある人から「信仰だけではダメだ。行いも必要だ」と散々聞かされました。自分にも行いが皆無だったわけではないけれど、事あるごとにそう言われました。ある人からは、「お前はそれでもクリスチャンか」とよく詰られました。では、どこまで立派な行いをすれば神に認めていただける...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.18 Mon 11:50
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスがご自分を神と等しくしたことにユダヤ人たちは激しく反発しましたが、イエスはなおも詳細に神とご自分の等しい関係について彼らにお答えになります。 特に23節に目が留まります。「それ(父が子にすべての裁きを委ねられたこと)は、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。」 イエスだけが人をいのちとさばきに分ける審判者です。そして、イエスを敬い、イエスの声に聞き従う者たちは神の義...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.18 Mon 10:48
JUGEMテーマ:教会キリスト教 ダビデに敵対する者たちの描写(1−4)。 「敬虔な人」は「誠実な人」。不誠実な人であるダビデの敵たちは、「二心で話」す人。「へつらい」と「傲慢」がその二つの心。彼らは相手によって言葉を使い分け、この罪の世を上手に渡って行きます。そうやって、主なる神を否定しています(4)。 しかし、主は彼らが「傲慢の舌」によって虐げた「苦しむ人」「貧しい人」のために「今・・・立ち上がる」。そして、彼をこそ、その求める救いに入れて下さいます(5)。 その神の、...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.16 Sat 09:16
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「預言者は自分の故郷では尊ばれない」というイエスご自身の証言(44)。 故郷のガリラヤの人々はイエスを歓迎はしました。しかし、それは「イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたから」でした(45)。カナのイエスの許を訪ねた王室の役人にも最初は「医者よ、自分を治せ」(ルカ4:23)、治すのを見たら信じるから、という態度が見えます。いずれも「見て信じる」信仰です。そこには、神の御子であり彼らの救い主であるイエスに対する相応しい尊敬も、深い人格...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 23:44
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「人に賢明さがあれば、怒りを遅くする。 その人の栄誉は、背きを見過ごすことにある。」(11) 「寛大さ」の価値が教えられています。それは、「賢明」であり「栄誉」です。 野放しの怒りがもてはやされ、容赦ない裁きが賞賛される風潮の中にあります。世はスポーツではなく喧嘩の延長線上の格闘技ブームであり、入国管理局の重箱の隅をつつくような審査は一向に止みません。日常生活の中でも、人の小さな過ちさえ見過ごすことができないでいることはないでしょうか...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 09:04
JUGEMテーマ:教会キリスト教 弟子たちは、イエスと話していたサマリア人の女にもイエスの行動にも何の関心も示しませんでした(27)。本来ならイエスに学んだ彼らこそ、サマリアの人々に関心を寄せ、イエスとその驚くべきみわざを宣べ伝えるべき人たちでした。しかし、サマリア宣教に用いられたのは、この罪深い生活をして来た一人の女でした。人と会うことを避けていたこの女は、思わず大切な水がめをその場において駆け出し、町の人々にイエスとイエスのなさったことを告げます。そして、この方こそキリストではな...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 08:48
JUGEMテーマ:教会キリスト教 他人をさばく者たちには例外なく(「すべて」)「弁解の余地はない」とパウロは言います。なぜなら、すべての人々はさばかれるべき罪人だからです(1)。 「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。」(16) 自分自身をさばくことにならないように、先走ったさばきをせず、いつも「悔い改める心」(5)をもって善を行い、神の前を歩みたいと思います。そして、他人のさばきについてはすべて神の...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.14 Thu 07:46
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