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イエス様の力ある技は、イエス様を心底受け入れた方、また、神様の道を通って受け入れた方には、だれにでもできます。神様の道から外れた普通の教会の信者さん、信じられますか?私は道です。本当の道を行けば、あなたにもイエス・キリストの癒しの奇跡はできるのです。神がなさるのですから。私は、私と言うたった一人で教会です。立派な大聖堂もありません。神様は大聖堂を見て信じなさいとは言ってはいません。聖句がその身に生きるために。
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詩篇119篇57−80節(『みことばの光』誌によるデボーション)

「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。/しかし今は あなたのみことばを守ります。」(67) 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。/それにより 私はあなたのおきてを学びました。」(71) 「主よ 私は知っています。/あなたのさばきが正しいことと/あなたが真実をもって/私を苦しめられたことを。」(75) 苦しみの意味について考えさせられます。少なくともここでの苦しみは、私を神のことばの前に謙虚にさせ、みことばに従う者とし、幸せにするために、神が与えて下さる恵みです。 そのことを教え...

田舎牧師のモノローグ | 2022.04.04 Mon 10:25

詩篇119篇1−32節(『みことばの光』誌によるデボーション)

8節ずつの22個の連から成る119篇は、原文ではきれいな「いろは歌」となっています。それで詩文としてもとても美しいものとなっていますが、それは覚えやすいようにという教育的な意図からなされたことではないか、と言う人もいます。また、119篇は聖書の中で最も長い章としても知られていて、そのテーマは「みことばに従って歩む人々の幸い」です。実際ほぼすべての節に、「みことば」に関連する言葉が含まれています。「みおしえ」(1)「さとし」(2)「主の道」(3)「戒め」(4)「おきて」(5)といったように。こうして119篇は...

田舎牧師のモノローグ | 2022.04.02 Sat 11:31

詩篇118篇(『みことばの光』誌によるデボーション)

115篇で主に信頼するよう命じられていた、「イスラエル」「アロンの家」「主を恐れる者たち」。118篇はその三者に、主に感謝を献げるように命じています。その感謝の言葉は、「主の恵みはとこしえまで」です。改めて主の恵み(それに値しない者にも与えられる無償のプレゼント)の大きさ、深さを思わされると同時に、私たちがいつまでも、どこまで行っても主の恵みを必要としている者たちであることをも思い起こさせられます。私たちはこの主の恵みによって救われ、生かされているのです。   主の恵みを信じ、主を呼び求...

田舎牧師のモノローグ | 2022.04.01 Fri 11:39

詩篇116篇(『みことばの光』誌によるデボーション)

「私は主を愛している。」(1)主を知る者とされた人々に共通した、燃えるような思いです。しかしそれは、私たちのうちから出たものでなく、主の恵みとまことによる救いから出たものです(2−6)。主が愛してくださったから、私たちは主を愛しているのです。そこに、主との生きた交わりがあり、「私のたましい」の「全きいこい」があります(7)。 私の主への愛の大きさは、私が経験した苦難の大きさと、そこから救い出してくださった主の恵みの大きさでもあります(8−12、16)。しかしそれは、「苦難から救われた、神さまありが...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.31 Thu 10:07

詩篇114篇(『みことばの光』誌によるデボーション)

「どうしたことか。海よ おまえが逃げ去るとは。/ヨルダン川よ おまえが引き返すとは。/山々よ なぜおまえは雄羊のように跳ねるのか。/丘よ なぜ子羊のように跳ねるのか。」(5,6)   『みことばの光』は「イスラエルがエジプトから」(1)の表現が、「聖書全体を貫く『救いのみわざ』をひとことで表したことばである」と言います。アーメン。そして、その救いの出来事を淡々と記述した後で、作者は改めて、その救いの出来事に驚いているのです。   イエス・キリストによる救いの出来事を、常に新しい驚き...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.29 Tue 07:00

ゼカリヤ書12章(『みことばの光』誌によるデボーション)

エルサレムを中心とするユダに、万軍の主による戦いの勝利が約束されます。神は彼らを通し、攻めて来る敵たちを根絶やしにされます。完全な勝利と救いの約束です(1−9)。 しかし、その勝利と救いは、エルサレムの徹底的な悔い改めによってもたらされることが明らかにされます。神の勝利と救いは、自分たちが突き刺した者、すなわち神である方を仰ぎ見て、恰も自分の子を失ったかのように、その方のために「激しく泣く」者に与えられるのです。その嘆きはその地に住む者たち全体に広がり、彼らの救いとなります。自分の罪がまさ...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.26 Sat 09:28

ゼカリヤ書11章

預言者ゼカリヤは、いけにえとされる羊の群れを空しく飼う経験を通し、滅び行く御民に向かわれる神の御思いを体験させらます(4−6)。神は「慈愛」と「結合」の杖をもって御民を牧そうとされたのに、群れを与かった民の指導者たちと彼らに導かれる羊たちはその御心を損ないます。神はついに「慈愛」と「結合」の杖を折られ、彼らの国を分裂と滅びとに任せられました。ゼカリヤは、その神の御思いをみことばに従うことで追体験させられたのです(7−14)。   契約は破棄され、良い牧者であったゼカリヤが、羊(御民)を商品...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.25 Fri 08:53

ゼカリヤ書10章

昨日、4月から高校に進学する息子が徳島のおばあちゃんの所へと旅立ちました。コロナ禍で中止となった修学旅行の代わりです。夜行バスで行ったのですが、翌朝、無事に徳島に着いた、と息子からの電話。安心して電話を切ると、すぐ妻のスマホに高速バスの運転手から電話。「○○さんがまだバスにお戻りになってないのですが。」なんと予定の徳島駅でなく、一つ手前の鳴門インターで降りてしまったのでした(まあ、徳島に着いたというのは間違いではありませんね)。バスにはそのまま行っていただき、息子は電話とLINEで誘導して事なきを...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.24 Thu 09:40

ゼカリヤ書8章

エルサレムの最終的な回復が語られます。   それは、万軍の主の、「ねたむほど激し」い「愛」のなせるわざです(2。イザヤ9:7参照)。繰り返し背いて偶像に走る民を、なおも愛される主の愛を思います。その愛が、民たちの目には「不思議」に見えるほどの、裁きの影もない、完全な回復をもたらすのです(3−17)。ユダとイスラエルは「のろい」から「祝福」に変えられ(13)、かつて「わざわいを下さそうと決意し・・・思い直さなかった」ように神は、今度は「幸いを下そうと決意し」思い直されません(14−15)。だから...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.22 Tue 08:00

ゼカリヤ書7章

神殿再建に着手し、「そろそろ悔い改めを終わりにしてもいいか」と尋ねるべテルの人々に対し、神の厳しい一言が語られます(5−6)。「あなたがたの悔い改めは、本当に神に対するものだったのか」という反問です。彼らの悔い改めは形骸化していたのです。そもそも、何が彼らの罪だったのかが彼らには分かっていませんでした。彼らの罪は、直接的には「神に対する」ものでなく、互いに対するもの、すなわち互いに対して正義と愛を示さないことにありました(8−14)。罪の本質は、自己中心にあるのですね。 互いを、特に弱い立場にあ...

田舎牧師のモノローグ | 2022.03.21 Mon 18:57

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