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JUGEMテーマ:大河ドラマ 浜松城は、家康が29〜45歳の17年間居城した城です。 その間、周りを強大な戦国大名に囲まれながらも戦いに生き延び、そして晩年、天下取りの夢をつかみました。 この城で飛躍を遂げたことから、後に出世城と呼ばれ、江戸時代には自ら願い出て城主を務める家臣も多くいたそうです。 若き日の徳川家康公の銅像 野面積みの石垣 銀明水と呼ばれていたという井戸 天守曲輪 家康公お手植えのみかん 城内の展望室から見た景色 城内地下にある井戸 家康の生...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.03.13 Sun 21:19
JUGEMテーマ:大河ドラマ 堀内エリアにある萩城三の丸北門屋敷は、萩城からほど近いかつて城を守る重臣達が居を構えた萩城三ノ丸の毛利一門・吉敷毛利家屋敷跡に建ち、現在老舗の高級旅館として営業しています。 国の重要伝統的建造物群保存地区として藩政時代からほとんど変わらない町割りと当時の武家屋敷の面影を色濃く残しています。 表門を入ると、欧風のロビー、四季の花咲くイングリッシュガーデンが広がり、大浴場では、はぎ温泉を楽しめるそうです。 はぎ温泉 平成16年(2004年)に、新たに掘削...
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.09 Wed 13:10
JUGEMテーマ:大河ドラマ 堀内は旧萩城三の丸にあたり、毛利輝元が慶長13年(1608)に指月山に城を築き、町割をおこなったことに始まり、保存地区は堀内のほぼ全域で、藩の諸役所(御蔵元・御木屋・諸郡御用屋敷・御膳夫所・御徒士所)と、毛利一門をはじめとする大身の武家屋敷が建ち並んでいました。 現在も、永代家老の益田家の物見矢倉など10数棟の武家屋敷が残っています。 旧益田家物見矢倉 国の伝統的建造物群保存地区制度が始まった昭和51年、平安古伝建地区とともに、全国で最初の「重要伝統的建造物群保存地...
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.08 Tue 14:19
JUGEMテーマ:大河ドラマ 真田昌幸の父・真田幸綱(幸隆)は、甲斐国の武田信玄の家臣であったため、昌幸は7歳で人質として甲斐国へ下り、武田信玄の奥小姓として仕えました。 信玄は昌幸の優れた才能を早くから見抜き、「我が眼」と称して重用したといいます。 甲府駅南口の信玄銅像 長じて昌幸は信玄の母方の武藤姓を与えられ、その才覚と武勇で頭角をあらわして、信幸・信繁が生まれた頃には足軽大将となっていました。 しかし天正3年(1575)の長篠合戦において、真田信綱と昌輝の兄2人が戦死したため、3男であっ...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.03.06 Sun 19:25
JUGEMテーマ:大河ドラマ 萩市浜崎町の旧山村家住宅は、2棟の主屋、2棟の土蔵、離屋からなる、江戸時代後期に建てられた町家です。 当時、京都や大阪の豪商によく見られた町家造りの「表屋造り」という建築方法を用いた美しい白壁の建物です。 表屋造りとは、店棟(表屋)と居住棟を前後に分け、この間に玄関庭を設けるという町家の建築形式。 山村家は、もともと浜崎地区の中心にあり、山村釣具店として親しまれていた店で、現在の建物は、明治前期の姿に復元されたもので、平成17年に所有者山村氏から浜崎地区の...
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.06 Sun 16:22
JUGEMテーマ:大河ドラマ 武田信玄の異母弟に「武田信繁」という人がいました。 父信虎は嫡男の信玄を嫌い、文武両道に優れた弟の信繁に家督を譲ろうとしたため、信玄が怒って父を甲斐の国から追放するという事件がありました。 しかし信繁は兄信玄に恭順の心を持ってよく仕え、武田家の副将として任務を遂行し、信玄の信頼も大変厚かったと言われています。 そして永禄4年(1561)第4回川中島合戦においても命がけで信玄の本陣を守り、壮烈な討死を遂げたと伝わります。享年37歳。 武田家の家臣であった真田昌幸は、武田信...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.03.03 Thu 13:43
JUGEMテーマ:大河ドラマ 屋家住宅に飾られた人形や着物です。 主屋座敷 私が訪ねたのが昨年の3月でしたので、雛飾りの特別公開をしていました。 上品なお顔立ちですね みせの間 伊藤博文が初洋行したときのアメリカ土産の柱時計 週に1度ゼンマイを巻けば動くとか。 土間 見事な梁ですね!
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.03 Thu 12:21
JUGEMテーマ:大河ドラマ 菊屋家住宅は、藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられました。 大内氏時代には武士でしたが、毛利輝元が萩城を築城する際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くしました。 菊屋家の正面は 御威道側にあります。 屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては日本最古の町屋に属し、400年の歴史があります。 主屋をはじめ本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開され...
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.03 Thu 12:12
JUGEMテーマ:大河ドラマ 北信濃の支配権をめぐって、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、計5回12年にわたって戦闘に及んだのが川中島の合戦です。 中でも永禄4年(1561)9月9日〜10日に行われた4回目の戦いが戦国史上最大の激戦でした。 この時真田昌幸は15歳。 初陣が許され、足軽大将として武田家奉行人に加わったと言われています。 謙信は、8月15日に信州善光寺に着陣すると荷駄隊と兵5000を残し、13,000の兵を率いて妻女山に陣取りました。 信玄はその知らせを受けると、16日に兵20,000を率いて甲府を進発し、...
大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2016.03.01 Tue 20:08
JUGEMテーマ:大河ドラマ 明治28年(1895)3月19日、清国の使節団を乗せた船が亀山八幡宮沖に到着。 日清戦争の講和会議が、下関の春帆楼の二階大広間を会場に繰り返し開かれ、日本全権弁理大臣は、伊藤博文と 陸奥宗光、清国講和全権大臣李鴻章を主軸とする両国代表11名が臨み、4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結されました。 日清講和記念館 その際、会議で使用された調度品や貴重な資料などが展示されています。 春帆楼 この地はもとは、阿弥陀寺の方丈のあったところで、阿弥陀寺が廃寺となっ...
大河ドラマを追いかけて | 2016.03.01 Tue 12:50
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