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キニラウというのはフィリピンでは一般的に食べている『酢の物』をいう。 写真はトビウオのキニラウで、このキニラウはココナツ・ミルクと酢の具合が上手に調和していて最近食べたこの手の中では上物だった。 キニラウは新鮮な魚なら何でも良く、白身だろうが赤身だろうが、小魚でも構わず作れ、それぞれの味わいを持つ。 フィリピンではこうやって魚を生で食べる場合は安全の意味もあって酢で締めて食べるが、魚介類を生で平気で食べるのは日本人位と良く言われる。 最近は中国人などが生の刺身を食べるようになったが、私が住...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.12.05 Wed 18:30
セブ島北部に土地があって、以前はトウモロコシ畑になっていたが、ここ数年は放置されていた。バスがビュンビュン通るハイウェイ沿いの土地なので何かに使った方が良いとなり、『農場』にするかとなった。 とはいってもこちらはスモッグ、騒音だらけのセブの都会暮らし。今の自宅を建てる前に住んでいた木造の家をそちらに移築してあり、年に数回、別荘替わりに使って滞在するが、現在の自宅から車で飛ばしても片道2時間半以上かかるからそうは簡単に行けない。 フィリピンで手がかからず、強い作物となるとやはり『椰子の樹』で、...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.12.04 Tue 18:21
日本の書評を読んでいたら今年の『開高健ノンフィクション賞』を受章した佐々涼子著『エンジェル フライト 国際霊柩送還士』に目が留まった。 このノンフィクション賞は昨年フィリピンの邦字日刊紙の記者が『日本を捨てた男たちーフィリピンでホームレス』で受賞している。 開高健の著作はほとんど読んでいるが、死後創設されたこの賞では初めてご当地を書いたその本しか読んでいない。 ただし、出版社の商売が上手いのと、テーマも開高健らしさもあってか本の売れ行きはこの手のノンフィクション物では売れているそうだ。 今...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.30 Fri 08:58
昨日の続き。サン・カルロス大学本校内の壁に張られていた図を撮影。 これは非常時に校内のどこに避難すれば良いかの案内で、本校舎は台形状の土地と書いたがその通りで、右側の道がハイウェイで左側がサンシャンコ通りになる。 赤く塗られている部分は戦前からの四階建て校舎(丸く印があるハイウェイ沿いが戦前からの校舎)と建て増しした校舎に囲まれた中庭が緑色に塗られていて、そこへ避難するようになっている。 セブは地震は珍しいから出火した時にここへ集まるようにという指示と見て良いだろうが、こんなペラペラの紙一...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.27 Tue 22:09
現在博物館になっている元刑務所へ行ったら、入り口にこの写真が飾ってあった。中央に四角く見える建物が刑務所施設で、撮影時期は1950年代、戦争が終わって間もなくの頃空撮したようだ。 写真では見えないが左手側に海が広がり、数十年後に埋め立てられ、今のショッピング・モールが出現することになる。 この写真ではこの辺りは戦時中の米軍による爆撃や艦砲射撃の被害には遭ってないようだが、よく見ると柱だけになった建物がある。 また、今は住宅やら倉庫が密集した地域になっているが、写真の当時は水溜りが数多く写ってい...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.27 Tue 18:59
戦前のセブに在った鉄道のことを調べるためかつてのセブ市駅跡から北に向かって歩くと写真の『サン・カルロス大学』本校舎にぶつかる。 写真の信号機の立つ道がセブの南北をつなぐ幹線道路『ハイウェイ』になるが、ただの渋滞の激しい道で高速道路でも何でもない。 私がセブに来た頃は、この道は大学から少し行った先で行き止まりになっていて、何年か後に新しく道を作って現在のようになったもので、この道が行き止まりだったことを知っている日本人は少ない。 サン・カルロス大学は前身から勘定すると1595年の創立で、世界でも...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.26 Mon 22:32
セブにはボーリング場が一カ所、SMモールの中にあり、そう客が入っているとは思えないが潰れずに営業を続けている。 写真は昔からあったボーリング場でハイウェイ沿いにある。 ハードウェア―店に買い物に行ったら、その前にこれがあった。 いつからあったか知らないが1990年代には営業をしていた。 ちょっと覗いたことはあるが一度も利用したことはなく、だいたいセブでボーリングをした記憶もない。 もう少し記憶をたどるとミンダナオで仕事をした時、デルモンテのパインアップル工場の中にあったボーリング場というか娯楽室の...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.25 Sun 23:22
セブに走っていた鉄道の話をセブのタウン誌に掲載するために、昔、駅があった所を歩いた。 その時、ついでに世界でも古い大学の一つ『サン・カルロス』の博物館を覗いた。その後校内をブラブラしていたら写真の車が停まっていた。 日本でなら何でもない光景だが、バンの後ろには日本語のポスターが張られているし、あちらこちらに同様の日本語のスティッカーが張られている。 フィリピンは日本から中古のトラックやバンを輸入してくれるお得意さまだが、輸入してもそのまま売って走らせている。 日本語の会社名や電話番号などが...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.24 Sat 22:10
メールや電話で用を済ます時代でも、郵便を出すという行為はなくならないし、必要である。といって、私もあまり郵便を利用しなくなった。 少し前まで年賀状は必ず郵便で出していたが最近はメールで簡単に済ませてしまい、今年などその作業も怠ってとうとう出さず仕舞い。 今年はこれではいけないと郵便に回帰、どうせなら昔は時間をかけて干支を版画で刷っていたから、今年は版画で出そうなどと考えて日本に行った時に版画刀を買ってきたが、気持ちだけ先行していてなかなか作業に入れない。 先日、久しぶりに地元にある写真の郵...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.23 Fri 22:19
前日のレールの話の続き。サトウキビ畑が広がるセブ島北部にメデリン町があって、ここには1928年創業の精糖工場がある。この工場は戦時中に日本軍に接収されてサトウキビから『エタノール』を作っていたという。 エタノールは航空燃料に混ぜて増量でき、戦時中のセブの基地から飛び立った特攻機の燃料になったのではないか。これで分かるようにエタノール精製は古くて新しく、フィリピンはガソリンに10%のエタノールを混ぜて自動車用に使うよう法制化した。 これはサトウキビからの精糖業が振るわなくなり、それに代わってエタノ...
セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2012.11.22 Thu 22:17
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