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神の子であり、人の子であり

「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」  今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。神の子であるイエスは、父である神と同様に完全な完全な神であり、この地上に遣わされた救い主です。  同時にイエスは、私たちと全く変わらない人間でもあります。私たちが人間として感じる喜びや苦しみは、当然イエスも感じていたわけです。  ナザレで大工をしていた時も、弟子たちと一緒に旅をしていた時も、イエスには日常の...

みことばとわかちあい | 2023.01.31 Tue 07:19

立ち止まらずに

神を信じるすべての人よ、神を愛せ。  今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じている人は神を愛しているのではないだろうか。なぜ、あらためて「神を愛せ」と呼びかけるのだろうか、という疑問が湧いてくる歌でもあります。  愛は感情だけに留まるものではありません。愛は行いであり、体験です。心の中で神の存在を信じている、神を大切だと思っているだけでは、神への愛は完成されないのでしょう。  そして、神と自分だけの関係に留まっていても、神への愛は全うされません。神はご自分が創られた...

みことばとわかちあい | 2023.01.30 Mon 07:19

誰もが弱いのだから

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。」  今日の第二朗読(?コリント1.26-31)でパウロはこのように書いています。ペトロたち、イエスの最初の4人の弟子たちは田舎の漁師です。彼ら以外にも、イエスの弟子には社会的地位が高くない人や、罪人と見なされて...

みことばとわかちあい | 2023.01.29 Sun 08:56

弱くおろかでも

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」  今日の福音(マルコ4.35-41)には、イエスと弟子たちが乗っている舟が突風で沈みそうになった時、イエスが風を叱って静めるという場面が描かれています。  ここでの弟子たちは、眠っているイエスを起こして「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と泣きついておきながら、イエスが風を叱りつけて静めるという奇跡を目にすると、「非常に恐れ...

みことばとわかちあい | 2023.01.28 Sat 08:44

相手の側に立つ

イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。   今日の福音(マルコ4.26-34)にはこのように書かれています。聖書にはイエスが語ったたとえ話が沢山書かれています。「良きサマリア人」も「放蕩息子」も、実話ではなくイエスのたとえ話です。たとえ話はイエスの説教の特徴で、それは当時としては珍しいことだったのでしょう。  ここに書かれているように、イエスがたとえ話を用いたのは、聞き手がご自分...

みことばとわかちあい | 2023.01.27 Fri 07:17

イエスの看板を背負って

そのとき、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。  今日の福音(ルカ10.1-9)にはこのように書かれています。「ほかに」とは十二使徒の他にという意味です。自分の生活から離れて出かけていくことができる弟子だけでも使徒と合わせては八十人以上いるのですから、イエスに従う人、イエスを慕う人が大勢いたことが分かります。  「御自分が行くつもりの」とありますから、この七十二人は、イエスの代わりに教えを説くために遣わされたのではありません。その準備のために遣わ...

みことばとわかちあい | 2023.01.26 Thu 07:20

パウロの覚悟

「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」  今日の第一朗読(使徒言行録22.3-16)で、パウロは人々にこのように言います。これは二重の意味で痛みを伴う告白です。ここでパウロは、ファリサイ派に対しては、今の自分はもはや仲間ではないことを、...

みことばとわかちあい | 2023.01.25 Wed 07:08

俺の身内だ

イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」  今日の福音(マルコ3.31-35)にはこのように書かれています。このイエスの言葉は「神の御心を行えば自分の家族になれる」という趣旨ではないように思います。  イエスの周りに集まっていた人々の全てが、イエスの教えを理解し、神の御心にかなう生き方をしていたわけではありません。使徒たちでさえ、イエスの...

みことばとわかちあい | 2023.01.24 Tue 07:02

世界を

世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。  今日の詩編(詩編98.1,4+5)はこのように歌われます。今、この世界は神に向かって喜びの声をあげられるような状態でしょうか。どれほど多くの人が、今日、喜びの声をあげることをできずに生きているでしょうか。  世界中が喜びの声をあげ、神を賛美することが神の願いであるならば、この世界に住む一人ひとりがそのような日々を送れるように祈り、行動することは、神を信じる人の使命であるはずです。  世界とは概念ではなく現実です。誰もが世界の一部です。自分...

みことばとわかちあい | 2023.01.23 Mon 07:18

いつも仲たがい

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」  今日の第二朗読(?コリント1.10-13,17)で、パウロはこのように書いています。こんなことを言われるのは、勝手なことを言って、仲たがいをして、心も思いも一つにせず、固く結びついていないからでしょう。実際にこの時、コリントの教会には深刻な分裂が起こり、パウロは心を痛めていたようです。  イエスが地上にいた時でさえ、弟子たちは言い争い...

みことばとわかちあい | 2023.01.22 Sun 07:52

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