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シメオンの賛歌

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」  今日は「主の奉献」の祝日。幼子イエスが神殿に捧げられた出来事を記念する日です。日本の慣習で言えばお宮参りに近いのかもしれません。  福音には、「メシアに会うまでは決して死なない」と言われていたシメオンという老人が聖家族に出会う場面が描かれています(ルカ2.22-40)。シメオンはイ...

みことばとわかちあい | 2023.02.02 Thu 08:53

シメオンの賛歌

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」  今日は「主の奉献」の祝日。幼子イエスが神殿に捧げられた出来事を記念する日です。日本の慣習で言えばお宮参りに近いのかもしれません。  福音には、「メシアに会うまでは決して死なない」と言われていたシメオンという老人が聖家族に出会う場面が描かれています(ルカ2.22-40)。シメオンはイ...

みことばとわかちあい | 2023.02.02 Thu 08:52

シメオンの賛歌

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」  今日は「主の奉献」の祝日。幼子イエスが神殿に捧げられた出来事を記念する日です、日本の慣習で言えばお宮参りに近いのかもしれません。  福音には、「メシアに会うまでは決して死なない」と言われていたシメオンという老人が聖家族に出会う場面が描かれています(ルカ2.22-40)。シメオンはイ...

みことばとわかちあい | 2023.02.02 Thu 08:48

聖なる囚われ

「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。  今日の福音(マルコ6.1-6)にはイエスの故郷での出来事が描かれています。他の土地と同じ教えを説き、同じ奇跡を行っているにも関わらず、イエスの故郷の人々は「あいつはただの大工じゃないか」とイエスを侮ります。  このようなことは、私たちの日常でも頻繁に起こっていると思います。何が語られているかではなく、誰が語っているか...

みことばとわかちあい | 2023.02.01 Wed 07:00

神の子であり、人の子であり

「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」  今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。神の子であるイエスは、父である神と同様に完全な完全な神であり、この地上に遣わされた救い主です。  同時にイエスは、私たちと全く変わらない人間でもあります。私たちが人間として感じる喜びや苦しみは、当然イエスも感じていたわけです。  ナザレで大工をしていた時も、弟子たちと一緒に旅をしていた時も、イエスには日常の...

みことばとわかちあい | 2023.01.31 Tue 07:19

立ち止まらずに

神を信じるすべての人よ、神を愛せ。  今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じている人は神を愛しているのではないだろうか。なぜ、あらためて「神を愛せ」と呼びかけるのだろうか、という疑問が湧いてくる歌でもあります。  愛は感情だけに留まるものではありません。愛は行いであり、体験です。心の中で神の存在を信じている、神を大切だと思っているだけでは、神への愛は完成されないのでしょう。  そして、神と自分だけの関係に留まっていても、神への愛は全うされません。神はご自分が創られた...

みことばとわかちあい | 2023.01.30 Mon 07:19

誰もが弱いのだから

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。」  今日の第二朗読(?コリント1.26-31)でパウロはこのように書いています。ペトロたち、イエスの最初の4人の弟子たちは田舎の漁師です。彼ら以外にも、イエスの弟子には社会的地位が高くない人や、罪人と見なされて...

みことばとわかちあい | 2023.01.29 Sun 08:56

弱くおろかでも

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」  今日の福音(マルコ4.35-41)には、イエスと弟子たちが乗っている舟が突風で沈みそうになった時、イエスが風を叱って静めるという場面が描かれています。  ここでの弟子たちは、眠っているイエスを起こして「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と泣きついておきながら、イエスが風を叱りつけて静めるという奇跡を目にすると、「非常に恐れ...

みことばとわかちあい | 2023.01.28 Sat 08:44

相手の側に立つ

イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。   今日の福音(マルコ4.26-34)にはこのように書かれています。聖書にはイエスが語ったたとえ話が沢山書かれています。「良きサマリア人」も「放蕩息子」も、実話ではなくイエスのたとえ話です。たとえ話はイエスの説教の特徴で、それは当時としては珍しいことだったのでしょう。  ここに書かれているように、イエスがたとえ話を用いたのは、聞き手がご自分...

みことばとわかちあい | 2023.01.27 Fri 07:17

イエスの看板を背負って

そのとき、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。  今日の福音(ルカ10.1-9)にはこのように書かれています。「ほかに」とは十二使徒の他にという意味です。自分の生活から離れて出かけていくことができる弟子だけでも使徒と合わせては八十人以上いるのですから、イエスに従う人、イエスを慕う人が大勢いたことが分かります。  「御自分が行くつもりの」とありますから、この七十二人は、イエスの代わりに教えを説くために遣わされたのではありません。その準備のために遣わ...

みことばとわかちあい | 2023.01.26 Thu 07:20

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