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「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」 今日の第二朗読(?コリント1.10-13,17)で、パウロはこのように書いています。こんなことを言われるのは、勝手なことを言って、仲たがいをして、心も思いも一つにせず、固く結びついていないからでしょう。実際にこの時、コリントの教会には深刻な分裂が起こり、パウロは心を痛めていたようです。 イエスが地上にいた時でさえ、弟子たちは言い争い...
みことばとわかちあい | 2023.01.22 Sun 07:52
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 今日の福音(マルコ3.20-21)にはこのように書かれています。聖書の記述では、母マリア以外の親戚たちはイエスのことを全く認めようとしません。後に初代教会の指導者となった「イエスの兄弟」ヤコブも、イエスの教えを信じるようになったのはイエスの死と復活の後のようです。 確かに、三十歳まで田舎の大工に過ぎなかった身内が突如仕事を辞めて人々に自分の教えを説き始めたら、「あいつはどうしちまったんだ...
みことばとわかちあい | 2023.01.21 Sat 10:26
そのとき、イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 今日の福音(マルコ3.13-19)にはイエスが弟子の中から使徒を選び、任命する様子が描かれています。使徒を選び出した理由として、「派遣して宣教させる」「悪霊を追い出す権能を持たせる」の前に「自分のそばに置く」が書かれていることに興味を引かれます。 イエスは誰にでも声をか...
みことばとわかちあい | 2023.01.20 Fri 07:21
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.10,17)はこのように歌われます。「人々の集いの中で神の救いの業を告げ知らせる」とは、第一には、人々に救いの業を告げ知らせるということでしょう。 それだけではなく、人々の集いの中にいるからこそ神の救いの業を感じることができる、その感謝を口にせずにはいられない、という意味もあるように思います。 神に救われるとは、神の愛を体験するということでしょう...
みことばとわかちあい | 2023.01.19 Thu 07:13
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 今日の福音(マルコ3.1-6)にはこのように書かれています。本来、ファリサイ派の人々は、ローマ帝国の力を借りてユダヤの民を治めていたヘロデに批判的だったようです。しかし彼らは、敵であるヘロデ派と手を結んででも殺したいほどにイエスを憎んでいました。 ファリサイ派がそこまでイエスを憎んでいた第一の理由は、安息日に奇跡によって病気を癒したり、罪人とされる人や外国人と親しく付き合う等、イエスが...
みことばとわかちあい | 2023.01.18 Wed 07:20
心を尽くして神に感謝しよう、神をたたえる人の集いの中で。 今日の詩編(詩編111.1+2,3+4b+5b)はこのように歌われます。私たちは、神に感謝する時、祈りを捧げる時、心を尽くすことができているでしょうか。 神への感謝が習慣になっていればいるほど、それが流れ作業のようになる危険性はあります。しかし、心から感謝したいことがある時にしか祈らなくていい、ということもありません。 日常のささやかな出来事に感謝することを忘れないのは大切です。幸せだから感謝するのではなく、感謝することによって幸せに気づかされ...
みことばとわかちあい | 2023.01.17 Tue 07:09
そのとき、ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 今日の福音(マルコ2.18-22)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハネは荒れ野で人々に悔い改めを説き、洗礼を勧めていました。一方、ファリサイ派は町で人々に律法を厳格に守るように説く人々でした。パウロの職業がテント職人だったように、ファリサイ派の人々は皆が「プロの」宗教者だったの...
みことばとわかちあい | 2023.01.16 Mon 07:18
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.2+4ab,6,10)はこのように歌われます。神の救いの業を告げ知らせることが聖書や宗教の話をすることだけならば、現代において、人々が集まっている場所でそれをすることは難しいでしょう。むしろ、相手に不快感を持たれたり、警戒されたりして、その人と神とを遠ざけてしまうかもしれません。 もちろん、直接的に聖書やキリスト教について語ることだけが、神の救いの業を告...
みことばとわかちあい | 2023.01.15 Sun 08:53
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」 今日の第一朗読(ヘブライ4.12-16)にはこのように書かれています。「大胆に」恵みの座に近づくという発想は、なかなか難しいように思います。恵みを頂くためには大胆さよりも謙虚さがふさわしいと考える人は多いでしょう。また、恵みとは与えられるものであって、こちらから近づく、取りに行こうとするものではないという印象もあるのではないでしょうか。 しかし、神は全ての人の救いを、幸せを...
みことばとわかちあい | 2023.01.14 Sat 10:50
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「力ある不思議なわざ」を、劇的な変化や奇跡が起こったり、叶うはずのない願いが叶ったりすることだけと考えているならば、どんなに思い起こそうとしても、そうそう思い当たることはないでしょう。 だからといって、私たちに神のわざが働いていないわけではありません。むしろ私たちは、日々、神のわざ、神の愛で強められていると思うのです。 神の力強さは、人間が考えるような形で現れるとは限りません。人の目には弱く、ささやかな...
みことばとわかちあい | 2023.01.13 Fri 07:13
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