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2月のこの時期に雨が降り暖かった日が続き今朝は風が冷たい でも雪が無いので楽ですね^^今日は真冬日の予報だが・・・・・鍋屋小路の【標識所在地】松本市中央2−7−21 鍋屋(なべや)小路の由来町人町・飯田町の南端の角から西へ入る小路名。「古実連記」には、「鍋屋有之故鍋屋小路」というと、この小路の由来が述べられている。鍋屋とは鍋や釜を作る鋳職人の事で、四件の鋳物師屋があったという。1月16日にアップした「飯田町」に入る手前の町です。次回は何処の町名にしようか??JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2012.02.09 Thu 07:20
JUGEMテーマ:街 用があって遠出した 電車と徒歩で バイクで何度か通ったことがある町 歩いてみると 古い家屋やお寺など楽しい発見があった 道祖神もおわした 帰りは線路沿いの小路を歩いてみた おもての国道とは全く風情が違う 急いだ空気を感じない そして横を電車が走る 郵便受けに古本屋からの小包 夕飯のあと ぱらっとめくって読んだ 「ルクセンブルクのコーヒー茶碗」というタイトル 今日の心境を思い出す内容 この本を手に入れて良かった
器用貧乏な私+器用な飼い猫 part 2 | 2012.02.04 Sat 23:10
飯田(いいだ)町の由来飯田町は松本城下枝町十町の一つで中町に属していた。慶長十八年(一六一三)に城主小笠原秀政が飯田より入部した際に、飯田から来た侍衆や奉公人職人を置いたのが由来であるという。享保年間に家数には家数七十軒あり、主に鋳物師紺屋石屋鍋屋などの職人が住んでいた。 飯田町一丁目の舞台 飯田町二丁目の舞台【標識所在地】 中央2-9-5藤森病院の脇にあります。ここに「亀の泉」がありましたので次回にでもアップします。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2012.01.16 Mon 10:28
【標識所在地】松本市中央2-8-18にあります。 毎年7月24日・25日、天神祭に繰り出す小池町の山車(舞台)小池(こいけ)町の由来小池町は松本城下の枝町十町の一つで中町に属していた。慶長十八年(一六一三)、城主小笠原秀政が飯田より入部の際に南半分を奉公人衆の屋敷にした。その中に小池甚之丞という軍学兵法の達人がいたので、その名を取ったという説と、この辺りに小さい池があったことに由来するとの説がある。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2012.01.14 Sat 06:36
出川町の由来当地域には弥生時代から中世にいたる遺跡があり、その歴史は古い。中世までは高原瀬と言われていたが、地下水が豊かな湧泉地帯であり、小川が無数に流れ出ているので、出河川(でがわ)、後に出川(いでがわ)と呼ばれるようになったと伝えられる。町名は出河川里〜出河川村〜出川町〜出川町村〜出川町などと変遷した。出川公民館 出川(いでがわ)は、長野県松本市の市街地の南にある地区。(住居表示実施地区、1〜3丁目がある。1丁目は1992年、2・3丁目は1994年に設定)。南隣りの出川町については出川町の項を参照。 ...
まつもとJIN | 2011.06.08 Wed 09:36
並柳(なみやなぎ)の由来中世鎌倉期から戦国期の並柳卿にさかのぼる地名。えどきから明治期にかけては村名となり、現在の町名に至る。かつてこの地は湖がありその水辺に柳が繁茂していたことによりその地名がついたと伝えられる。 並柳(なみやなぎ)は、長野県松本市の市街地南東に位置する地区。(住居表示実施地区、1~4丁目がある。1994年に設定)。俗に塩ノ崎などと呼ばれるところが入る。 西側に田川が、南側に牛伏川が流れている。東側は中山(先端部は弘法山と呼ばれる)がそびえている。中山は一見すると丘陵地...
まつもとJIN | 2011.05.10 Tue 18:22
三才の由来町名の由来は、古代、優れた三人の才能ある人物が諸災害を治めた事によるとの説、筑摩郡に国府があったことから、風の祝(台風を収める神職)がこの地にいて、三年ずつで交替したこと、三歳ずつによるとの説、さらに御射(みさ)の神事の地によるとの説がある。三才には天道、地道、人道、天地間の宇宙蔓物の意がある。【標識所在地】 筑摩2-2968-2重要文化財の若宮八幡社この社殿はもと松本城本丸の大堀の中の島に祀られた松本城鎮守守若宮八幡社の社殿であったが寛文10年(1670)にこの地に移されたものである。社...
まつもとJIN | 2011.03.15 Tue 08:01
筑摩の由来古くは束間々豆加万などと書かれていたが、和銅六年(713)好学令という朝廷の命令により筑摩となった。明治四年筑摩県が置かれてから、「ちくま」となり、古代からの呼称「つかま」を伝えているのはこの地のみである。筑摩東は昭和三十年頃神社東の地域に生まれる。【標識所在地】 筑摩2-2968-2筑摩神社遊園地にあります。 筑摩(つかま)は長野県松本市の薄川の南側の地区(住居表示実施地区、1~4丁目がある。1992年に設定)。俗に三才、中林などと呼ばれるところが入る。 筑摩(つかま)神社、長野県松本工業高等学...
まつもとJIN | 2011.02.28 Mon 17:06
中林の由来中林は、江戸期から明治八年筑摩村の一部となるまで村として続いた。古く山辺の林部落と筑摩の中間にあったのでこの名がついたが、薄川の氾らんをさけてこの地へ移転したものと伝えられる。【標識所在地】 筑摩2-3408-5標識は国体道路脇の中林神社にあり秋には例大祭が行われます。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2011.02.18 Fri 07:28
「ほっと塾」 ふぉと散歩 まつもと水巡り も最終です鯛萬小路から裏町そして正行寺小路と廻って今回の水巡りは終わりです。 裏町を通って右に曲がると正行寺小路に出ました。正行寺小路の途中に下横田町(しもよこた)の標識がありました。下横田町の由来歴代城主の発領により、古くより寺町としての様相を呈していたが、一七三〇年代、既に現町名で二丁八間二五一軒の人家を構え、職工人の町として栄えた。主に湧水を利用した紙漉足袋の製造など多く、維新後は県内初...
まつもとJIN | 2011.02.10 Thu 06:18
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