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西五町の由来 明治以降の松本の発展の中で、旧城下町の内外に新たに町々が形成されたが、西五町のもその一つである。 この町名は、旧城下町の町名である本町五町の西に当たっているのでこの名が付けられた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.07.24 Wed 15:21
国府町の由来 明治三十五年に篠ノ井線が開通し、松本駅が松本町の玄関になると、それに相応しい町名として、かつてこの地が信濃の国の府中として栄えていたように、松本町の反映を願って国府町と命名された。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.07.17 Wed 16:15
神明町の由来 伊勢町通りの中ほどに神明小路があり、その奥に神明宮が祀られていた。明治三十五年に松本駅が開設され、そこから東へ。市内中心部を結ぶ通りとして神明町が つくられた。町名は神明宮に因む。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.07.01 Mon 10:23
旧町名鍋屋小路 今の中央2丁目で昔の電車通りに標識はあります。鍋屋(なべや)小路の由来 町人町・飯田町の南端の角から西へ入る小路名。 「古実連記」には、「鍋屋有之故鍋屋小路」という、この小路の由来が 述べられている。 「古鍋屋とは鍋や釜を作る鋳職人の事で、四軒の鋳物師屋があったという。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.06.17 Mon 17:56
葵の馬場(あおいのばば)の由来 城内三の丸にあった葵の馬場に因む町名。この地で騎馬の修練が行われていたことを物語っている。 戸田氏の藩祖康長が徳川家康から許された葵の紋章に因み、この馬場の土堤に葵を植えたことがその名の由来という。松本裁判所の近くです(南側) JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.06.01 Sat 04:42
日出町の由来 明治二十三年片倉組が、当時水田であった清水の地に松本最初の製糸工場を開設。その後、日本の製糸業が日の出の勢いで世界に進出していくのにともなって、同工場も明治三十三年は片倉製糸紡績株式会社へと規模を拡大し、隆盛に向かった。町名の由来は、日の出の勢いで発展する片倉にあやかり、また松本市の東に位置し日の出を拝する町という意味を込めて日ノ出町と命名された。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.02.09 Sat 04:34
中(なか)町の由来 城下町親町の一つで、「中町ハ外町之為中故中町ト号ス」(故実伝連記)とあり、 善光寺街道の道沿いであった。 犀川通船開通(天保三年・一八三二年)の頃は、船も遡行していたので、 塩・肴問屋が軒を連ねていた。 竹風堂の庭JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.02.05 Tue 11:15
上土(あげつち)町の由来 松本城東側東門前の馬出し廊の堀の土を上げ たところから町名となる。 惣堀の外の武家屋敷。この上土にかつては牢 屋もあったと記録されている。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.02.03 Sun 04:44
葵の馬場、ここには図書館があったようで以下の文書で解ります。葵の馬場(現在の裁判所付近)にあった武徳殿の建物を利用していた頃の図書館。昭和34年までここにあり、その後、今の信金本店の位置にあった東筑摩郡役所の建物に移転し、昭和42年に開智に移りました。葵の馬場(あおいのばば)の由来城内三の丸にあった葵の馬場に因む町名。この地で騎馬の修練が行われていたことを物語っている。戸田氏の藩祖康長が徳川家康から許された葵の紋章に因み、この馬場の土堤に葵を植えたことがその名の由来という。【標識所在地】 丸の内1...
まつもとJIN | 2012.05.18 Fri 07:07
博労町(ばくろうまち、ばくろうちょう)は日本の地名。江戸時代に主に牛馬の売買を生業としていた博労に由来する。日本橋馬喰町 - 東京都中央区の地名。語源を同じくし、「博労町」にもかつてこう称したものが多い。博労(はくろう)町の由来博労町は松本城下の南で入り口に位置し、枝町十町の一つで、本町に属していた。本町とは袖留橋(現柳橋)を境とし、南の端には十王堂が置かれていた。古くは貢馬を集めて置いた所で馬町とか馬喰町といわれていた。元禄六年(一六九三)、博労町に改められた。【標識所在地】 本庄1-3-6ここに...
まつもとJIN | 2012.02.24 Fri 08:00
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