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“彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。”(ルカ24:32) 私たちは、失望に囚われ、落ち込んでいる時、主がよく見えなくなってしまうことがあります。失望は、サタンの非常に有効な攻撃手段なのです。エマオ途上の弟子たちは、主が、強大なるローマ帝国をくつがえして、地上に王国を建て、主が統治支配されるのだと信じ込んでいました。 しかし現実は最悪で、最も残酷で惨めで、主は辱めの十字架刑で死んでしまわ...
ぶどうの木 | 2020.09.17 Thu 08:13
“わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。”(?ヨハネ5:14) 「求めよ、そうすれば与えられる」の通り、主は、私たちの祈りを喜ばれ、求めることを喜ばれます。しかし「神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さる」神の御心にかなう願いなら、答えられるのです。 主は、ソロモンに「あなたに何を与えようか。願え」と言われました。ソロモンは、...
ぶどうの木 | 2020.09.16 Wed 07:54
“ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」。”(民数記14:9) カデシュ・バルネアは、イスラエルの民が不信仰になり、カナンに入る事ができず、荒野を40年さまよい滅びてしまう事になった場所でした。部族から一人づつ12人の斥候をカナンに遣わし、地を探り戻って来たヨシュアとカレブは、「素晴らしく良い地だ。上って行って占領しよう...
ぶどうの木 | 2020.09.15 Tue 08:17
“主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。”(エレミヤ29:10) イスラエルの民は、バビロンの地に連れ去られました、バビロン捕囚だけを見れば、この上ない悲惨な絶望的な事態でしたが、イスラエルの民は捕囚によって悔い改め、神に立ち返る事ができ、信仰の回復がなされました。70年後にエルサレムに帰還させるという奇跡がなされ、主の約束を成就されました。バビロン補囚は、神の計画だと言われました。目に見え...
ぶどうの木 | 2020.09.14 Mon 07:28
“あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。”(詩篇55:22) 日々の生活の中で、誰でも落胆することがあり、時に、それが続いてしまうこともあります。目の前の出来事や状況に、がっかりし失望してしまうのです。気落ちすると気力が失せ、気持ちが萎えてしまうと、何をする力も湧かなくなります。どん底にいる時は、主が見えなくなってしまい、働かれている主が見えなくなるのです。 失望が、主をさえぎってしまうのです。自分の目...
ぶどうの木 | 2020.09.13 Sun 06:10
“イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。”(士師6:1) 士師の時代は暗黒時代であり、霊的指導者がおらず、イスラエルの民は自分勝手に歩んでいました。「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」イスラエルの民は、 偶像に走っては外敵に襲われ、主に叫び求めると、主は士師を遣わし救い出されました。その繰り返しが士師記に記されています。 イスラエルの民は、ミデヤン人がいなごの大群のように襲って来ると...
ぶどうの木 | 2020.09.12 Sat 07:54
“悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。”(エペソ6:11) 悪魔の特に巧妙さは、誘惑する際に、光の御使いに変装する事です。「サタンさえ光の御使いに変装するのです」つまり神に見せかけ、良い、正しい、麗しい事に見せるのです。クリスチャンと同じ者だと思わせるのです。目的のために手段を正当化させ、目的が正しいのだから、手段は構わないではないか、目的さえ達成すればよい、結果オーライだと誘惑して来るのです。 例えば、子供のためだと言い、親のエゴを突...
ぶどうの木 | 2020.09.11 Fri 08:06
“神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。”(?ペテロ5:7) 主は、「何も思い煩うな」と言われます。現在、あなたが思い煩っていることも含まれるのです。思い煩わなくて良いとは、何という解放感、平安でしょうか。しかし思い煩わなくてよいと言われても、つい思い煩うのが私たちです。 自分の心の底を見ると、思い煩いを、自分が選択していることがあります。苦しくてそれから逃れたいはずなのに、選択している自分がいるので...
ぶどうの木 | 2020.09.10 Thu 08:00
“信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。”(へブル12:2) この御言葉の前の節で、「いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てて走ろう」と言われます。思い煩い、不安、心配事、問題、常にまとわりついて悩まされている罪、習慣などが、足もとにまとわりつき、からみついていては、歩く事はおろか、走る事ができません。 あなたのま...
ぶどうの木 | 2020.09.09 Wed 07:50
“主のはかりごとはとこしえに立ち、そのみこころの思いは世々に立つ。”(詩篇33:11) 主の御前では、人間のどんなにすぐれた知恵やはかりごとも、役に立たないのです。主のはかりごと、主の御心の思いは、とこしえに立つからです。そのため自分のはかりごと、思い、プランを、絶えず主に明け渡して、ゆだねることが大切です。 私たちは、自分の思い、計画が、これこそが絶対に良い、ベストだと思い込んでしまい、そして自分の思いと計画を成し遂げたいのです。頭では、主の御心がなりますように...
ぶどうの木 | 2020.09.08 Tue 07:05
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