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“ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。”(?サムエル24:6) 人を赦せない経験をした事があるでしょうか。赦せない相手がいるなら、どんなに楽しい時も、ふと心に影を落とすのです。傷つけられた相手に、怒りと憎しみで、心が四六時中がんじがらめになります。放免される事がなく、心がずっと囚われ、牢獄の中にあるのす。 ダビデは、サウル王に殺...
ぶどうの木 | 2020.08.14 Fri 07:55
“あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。”(ローマ12:2) 主を求めているつもりが、神に出会っている実感が無い、祈っているが聞かれている気がしない、壁に向かっているように感じるという人々がいます。主を求めているのですが、神がよくわからないという時は、自分に都合の良い神を求めている事があるのです。 自分の思いが強...
ぶどうの木 | 2020.08.13 Thu 07:54
“彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」。”(民数記16:3) コラの反乱で、コラとその共謀者たちが、250人のイスラエルの人々と共に、「あなたがたは、分を越えています」と、モーセとアロンの権威に反抗しました。モーセはこれを聞いて、民に対応せず、まず主のもとへ行き、主の御前にひれ伏し祈りました。そして結果的に、主ご自...
ぶどうの木 | 2020.08.12 Wed 07:46
“わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。”(ヨハネ14:27) 「主の平安」「わたしの平安」は、この世が与えるものとは違います。この世の平安とは、環境、状況が平穏無事であること、災いが無いことであり、無病息災、家内安全、交通安全、商売繁盛です。そしてこれらを得るための信心ですが、それで災いに会うなら、信心している意味がありません。 しか...
ぶどうの木 | 2020.08.11 Tue 07:12
“こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。”(ヘブル2:1) 私たちは、生活の中で漂流するのように、この世に、少しずつ少しずつ流されてしまうことに気をつけましょう。この世に流されていることに気づけると、仕切り直しができるのですが、気づかないままに、少しずつ流されて、主から離れてしまうのです。 日曜に礼拝に行って、ぬるま湯の中の1週間だったと気づくことができます。熱くもなく冷たくもな...
ぶどうの木 | 2020.08.10 Mon 08:18
“ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。”(ヨハネ2:3) 当時の結婚式は、ぶどう酒は重要であり、ぶどう酒が無くなるのは大失態でした。私たちの人生でも、ある時ぶどう酒が無くなります。自らの失敗、病気、倒産、リストラ、離別、経済的問題、突如の苦境などで、喜びのぶどう酒が無くなることがあります。 その時に自分で何とかしようと必死にあがき、もがき、まさに自力で、水からぶどう酒を作り出そうとします。悪戦苦闘しますが、行き詰ま...
ぶどうの木 | 2020.08.09 Sun 05:43
“その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。”(?サムエル30:6) ダビデは、祈らずに自分の思いで動いた結果、失敗しました。その後、ダビデたちが留守宅に戻ると、アマレクに襲撃され火で焼き払われ、女、子供は皆、連れ去られていました。妻たちや財産も奪われ、何もかもを失い、皆、大号泣し泣き明かしました。 民は、この不満をダビデにぶつけ...
ぶどうの木 | 2020.08.08 Sat 08:10
“ダビデは心のうちに言った、「わたしは、いつかはサウルの手にかかって滅ぼされるであろう。早くペリシテびとの地へのがれるほかはない。そうすればサウルはこの上イスラエルの地にわたしをくまなく捜すことはやめ、わたしは彼の手からのがれることができるであろう」。”(?サムエル27:1) いつも主を仰いで、主の導きを求めていたダビデでしたが、ここでは「心のうちに言った」とあり、主への語りかけでなく、自分自身に語りました。つまり祈らずに、自分の思いで行動してしまいました。ダビデは、ずっとサ...
ぶどうの木 | 2020.08.07 Fri 08:06
“これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。”(創世記22:1) 主は、子供を与えるとの約束をくださっていましたが、アブラハム100歳、サラ90歳の時に、長い長い忍耐の末に、実子イサクを得ました。しかし彼らも弱さがあり、主の時を待てずに、肉の手段で、奴隷ハガルによりイシマエルを産み出しました。しかし、ヘブル書によると、アブラハムは信仰の人として賞賛されています。 主は、アブラハムに愛する子イサクを、全焼のいけ...
ぶどうの木 | 2020.08.06 Thu 07:54
“イスラエルの王はヨシャパテに言った、「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。あなたは王の服を着けなさい」。イスラエルの王は姿を変えて戦いに行った。”(1列王22:30) イスラエル王アハブは、ユダ王ヨシャパテを誘い、アラムからラモテ・ギルアを取り返そうとしました。400人の預言者に聞くと、上って行くようにと口を揃えて言いました。しかし、預言者ミカヤは反対の預言をし、アハブが悪霊に惑わされている事、殺される事を告げました。そんな中、アハブとヨシャパテは、アラムと戦う事になりました。...
ぶどうの木 | 2020.08.05 Wed 07:42
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