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“肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。”(ヘブル12:10) 試練は、悲しく、痛く、苦しく、対人関係での様々な悩み、経済的苦境、病気、けがなど、決して嬉しいものではありません。辛さゆえに、「なぜ自分が?」と思うことでしょう。しかし、問題が問題なのでなく、問題に対する私たちの態度が問題なのです。試練に対する態度が問題であり、大切なことなのです。 まず、ネ...
ぶどうの木 | 2020.08.19 Wed 07:46
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) ある人が第一線で先頭に立って、バリバリ仕事をし、どんどん結果を出していました。ところがある時、仕事上の困難な問題に行き詰まってしまい、仕事で失敗してしまいました。過労で体調を崩して入院し、止むなく退かねばならなくなりました。その時にひどく落ち込みました。 仕事が出来ていた時は、自分が価値のある人間と思えていましたが、何もできなくなった時、自分の価値を認められなくなりました。非常な苦痛であ...
ぶどうの木 | 2020.08.18 Tue 06:55
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) ある人が第一線で先頭に立って、バリバリ仕事をし、どんどん結果を出していました。ところがある時、仕事上の困難な問題に行き詰まってしまい、仕事で失敗してしまいました。過労で体調を崩して入院し、止むなく退かねばならなくなりました。その時にひどく落ち込みました。 仕事が出来ていた時は、自分が価値のある人間と思えていましたが、何もできなくなった時、自分の価値を認められなくなりました。非常な苦痛であ...
ぶどうの木 | 2020.08.18 Tue 06:55
“イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。”(ルカ17:14) 当時、らい病は汚れた病気と隔離されていました。人々に近寄る事は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなくてはなりませんでした。苦しい病の上に、社会生活は閉ざされ、身体的苦しみと共に、更に精神的な苦痛がありました。 らい病人たちが、主のもとへ来たのは、切実で必死な思いであったことでしょう。大声で「どうぞ、あわれん...
ぶどうの木 | 2020.08.17 Mon 06:24
“さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。”(ヘブル11:1) ある人が、極めて厳しい経済状態にありました。多額の必要の上に請求書があり、祈りに祈るのですが、支払い日はどんどん迫って与えられない。尚も、祈り続けるのですが、与えられる気配はなく、恐れと不安が募り、いよいよもって与えられず、不安で一杯になり、タイムリミットギリギリの時に、知り合いから電話が入りました。 祈りの中で、主から示されたので、献げものを振り込んだとの...
ぶどうの木 | 2020.08.16 Sun 05:50
“この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。”(ヨハネ5:7) もし人が病気になっても、それが普通で正常な状態だと思っているなら、病気が治ることはありません。病気が治るためには、自分が病気だと認識しなければならないのです。私たちも癒されるためには、自分は病気であり、この状態はまともではないと認識することが重要です。 自分の内側の自己中心には目を向けることなく...
ぶどうの木 | 2020.08.15 Sat 08:13
“ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。”(?サムエル24:6) 人を赦せない経験をした事があるでしょうか。赦せない相手がいるなら、どんなに楽しい時も、ふと心に影を落とすのです。傷つけられた相手に、怒りと憎しみで、心が四六時中がんじがらめになります。放免される事がなく、心がずっと囚われ、牢獄の中にあるのす。 ダビデは、サウル王に殺...
ぶどうの木 | 2020.08.14 Fri 07:55
“あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。”(ローマ12:2) 主を求めているつもりが、神に出会っている実感が無い、祈っているが聞かれている気がしない、壁に向かっているように感じるという人々がいます。主を求めているのですが、神がよくわからないという時は、自分に都合の良い神を求めている事があるのです。 自分の思いが強...
ぶどうの木 | 2020.08.13 Thu 07:54
“彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」。”(民数記16:3) コラの反乱で、コラとその共謀者たちが、250人のイスラエルの人々と共に、「あなたがたは、分を越えています」と、モーセとアロンの権威に反抗しました。モーセはこれを聞いて、民に対応せず、まず主のもとへ行き、主の御前にひれ伏し祈りました。そして結果的に、主ご自...
ぶどうの木 | 2020.08.12 Wed 07:46
“わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。”(ヨハネ14:27) 「主の平安」「わたしの平安」は、この世が与えるものとは違います。この世の平安とは、環境、状況が平穏無事であること、災いが無いことであり、無病息災、家内安全、交通安全、商売繁盛です。そしてこれらを得るための信心ですが、それで災いに会うなら、信心している意味がありません。 しか...
ぶどうの木 | 2020.08.11 Tue 07:12
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