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“人をさばくな。自分がさばかれないためである。”(マタイ7:1) 「さばくな」と主は言われます。では裁判も、いっさいの裁きはいけないのでしょうか。それは違います。主は、何が正しいか、善悪の判断をきちんとするようにと言われているのです。「聖なるものを犬に与えるな」「豚の前に真珠を投げるな」と命じておられます。判断しなければ、主に従う事ができません。 「実によって見分わけることができる」と主は言われます。汚れたものを見分け、何もかも信じるのでなく、「偽預言者を見分け...
ぶどうの木 | 2020.07.14 Tue 08:00
“主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。”(?サムエル8:7) イスラエルの民は、他の国民のように自分たちも王が欲しいと、サムエルに王を求めました。しかしそれは、主の御心ではありませんでした。民が何がなんでも王が欲しいと要求した時、主は、サムエルに要求を聞き入れよと言われました。それは、イスラエルの民は、サムエルを退けたのではなく、神を退けた...
ぶどうの木 | 2020.07.13 Mon 08:16
“主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。 直く歩み、義を行い、心から真実を語る者”(詩篇15:1-2) ある人は、個人的に厳しい状況にあり、深い悩みの中にいました。職場で以前から信頼できる先輩に相談しました。先輩は悩みをじっくり聞いて、「ごめんね。私にはどうしてよいかわからない。解決の方法もわからず、何も言って上げられなくて、ごめんなさい」と正直に答えてくれました。それは極めて誠実な対応でした。 私たちの主への態度は...
ぶどうの木 | 2020.07.12 Sun 06:18
“だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。”(ヤコブ1:13) 誘惑について御言葉は「人はそれぞれの欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される」と言われます。誘惑は、外部から来るのでなく、欲に引かれと、私たちの内側から始まるのです。魚釣りのように、サタンが私たちの内側の欲望に誘惑の餌を投げかけ、その餌に食らいついてしまうと、誘惑にかかってしまうのです。もし、欲...
ぶどうの木 | 2020.07.11 Sat 08:11
“彼らはメラに着いたが、メラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、その所の名はメラと呼ばれた。”(出エジプト15:23) イスラエルの民は、出エジプトの際に、主の偉大な奇跡を目の当たりにしました。紅海が目の前で、二つに分かれ、追っ手のエジプト軍から見事に救われました。主の全能の力を目の前に見て、驚くべき体験をしました。 ところがその後は、彼らは荒野に入り3日歩きました。その時水が無く、メラでは、そこの水は苦くて飲めませんでした。するとイスラエルの民は、モーセ...
ぶどうの木 | 2020.07.10 Fri 07:32
“しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。”(ヨハネ14:26) ある人は「わたしの目にはあなたは高価で尊い」との御言葉は、素晴らしい恵みの言葉と、頭ではわかるのですが、長い間、どうしても自分の事として受け取れませんでした。自分が高価で尊いなどと、どうても思えない、生い立ちから培われた古い価値観に妨げられてしまい、主を信じてはいるのですが、心底満たされて...
ぶどうの木 | 2020.07.09 Thu 07:51
“神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。”(伝道3:11) 「時にかなって美しい」とあありますが、かなうとは、ぴったり合う・適合する・丁度当てはまることです。時にかなってとは、丁度良い時・時がピッタリ・ジャストタイミングのことです。美しいは、調和がとれていて快適に感じられるさま・人に感銘、感動を与えるさまです。主のなさる事は、丁度ピッタリのタイミン...
ぶどうの木 | 2020.07.08 Wed 07:39
“自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。”(マタイ20:14) ぶどう園が収穫期のため、労務者が早朝、9時、12時、3時、5時と順次雇われました。早朝の者だけ1日1デナリの明確な契約がなされ、9時以降の者の報酬は「相当のもの」となっていました。そして1日の労働を終えた時に、5時の者から順に、全員に等しく1デナリが支払われました。1デナリは当時の1日分の給料でした。 5時の者たちは、非常に驚いたことでしょう。もう片づけに...
ぶどうの木 | 2020.07.07 Tue 07:59
“イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。” (マタイ13:3-4) ある人は、主を信じ救われて、かなりの期間を経るのですが、御言葉を聞いているつもりで、実は聞き流していたと、御霊の気づきを与えられました。それは御言葉を捨てていた事になるのです。種蒔きのたとえの「道ばた」に落ちた種であり、土地が固いので植わらず、鳥がきて食べてしまいました。つまり心が固いので、御言葉...
ぶどうの木 | 2020.07.06 Mon 07:59
“なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。”(マタイ11:18-19) 私たちは、しばしば人を裁いてしまう弱さを持っています。私たちが人を裁くのは、相手が自分の思い通りでないからと言われています。自分の思いがあり、それに合わないので相手を非難います。つま...
ぶどうの木 | 2020.07.05 Sun 05:56
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