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“ところがサウルはヨナタンを撃とうとして、やりを彼に向かって振り上げたので、ヨナタンは父がダビデを殺そうと、心に決めているのを知った。”(?サムエル20:33) サウル王は、最初ダビデを大変気に入り召しかかえ、ダビデは忠実にサウルに仕え、勝利を重ねていました。そんな時、女たちの「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との言葉で、サウルは妬みにとりつかれ、ダビデを疑心暗鬼で見るようになりました。ダビデへの嫉妬は憎しみとなり、それは殺意にまでなりました。罪は、罪を増幅させていくの...
ぶどうの木 | 2020.11.27 Fri 08:15
“むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。”(ヤコブ4:15-16) 主にご計画があるなら、自分で計画を立てるのは良くないのではないかと思いそうですが、そうではありません。無計画の行き当たりばったりが、良いのではなく、主と相談しつつ将来の計画を立てる事は大切です。主を無視した計画は、愚かなことです。自分本位ではなく、祈りつつ、主の御心を...
ぶどうの木 | 2020.11.26 Thu 06:51
“あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。”(申命記8:6-7) 苦難のエジプトを出たイスラエルは、燃える蛇やさそりのいる、あの大きな恐ろしい荒野を通されました。過酷で辛い場所でした。私たちも、突如の経済的苦境、対人関係の悩み、病気、受験の不合格、別離、何でこんな事がと苦しい事態に遭遇し、時に人生の荒野を経験します。 しかし、その先があり「ついには、あなたをしあわせにする...
ぶどうの木 | 2020.11.25 Wed 08:05
“王に申しあげた、「もし王がよしとされ、しもべがあなたの前に恵みを得ますならば、どうかわたしを、ユダにあるわたしの先祖の墳墓の町につかわして、それを再建させてください」。”(ネヘミヤ2:5) ネヘミヤは、ハナニから、エルサレムの城壁が崩され、門は火で焼き払われた状態である事を聞きました。その時、泣いて喪に服し断食して、主に祈りました。ネヘミヤは、昼も夜も祈る中で重荷が増し、4ヶ月後に王の前に出ました。ネヘミヤの顔は、打ちひしがれた悲しい顔つきで、王はネヘミヤに、どうしてそん...
ぶどうの木 | 2020.11.24 Tue 08:15
“まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。”(ガラテヤ6:7) 私たちは、間違ったり、思い違いをしてしまうものです。人は、自分の蒔いたものを、必ず刈り取ります。これは法則なので、例外はありません。朝顔の種を蒔いて、ひまわりの花が咲く事は有り得ません。朝顔の種からは、朝顔の花です。キュウリはキュウリ、キャベツはキャベツです。蒔く種は、正しくその蒔いた種の通りに実を結ぶのです。 霊的な原則も同じです。時期が来...
ぶどうの木 | 2020.11.23 Mon 08:17
“イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。”(マタイ14:25) 主は、弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、主が彼らを強制的に向こう岸へ行かせられました。夕方に、沖へとこぎ出し、その途上で嵐となり、波と風で荒れ狂い、何も見えない夜の真っ暗闇での嵐は、どんなに恐怖であった事でしょう。 この時、弟子たちは強制的に送り出されたので、主は嵐に遭う事をご存じでした。人生で試練は 避けられません。風雨も日照りも干ばつもあり、人生には順境と逆境があります。信仰...
ぶどうの木 | 2020.11.22 Sun 05:54
“だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。”(ヤコブ1:21) “ 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。”(ヨハネ6:63) 「心に植えつけられている御言」、主は、私たちの心に御言葉を植えつけてくださいます。私たちは、御言葉を、素直に受け入れるようにと言われています。素直に受...
ぶどうの木 | 2020.11.21 Sat 08:14
“しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。”(詩篇73:28) 私たちは、主を信じる以前、心に虚しさを覚えました。目の前のハピーな事、快楽がある時には忘れていますが、心が他の事に奪われているだけで、心の底にある虚しさは無くなりませんでした。生きる意味も目的も、わかりませんでした。虚しさをごまかして、だましだまし、主に向き合う事を避けて、生きて来たのかもしれません。主を信じ受け入れた後は、...
ぶどうの木 | 2020.11.20 Fri 08:19
“ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。”(?歴代11:17) アドラムの洞穴にいた時に、ダビデは、喉が渇き、しきりに故郷ベツレヘムの井戸水が飲みたくなりました。それで、故郷の水が飲みたいと思わず口にしてしまいました。しかしそこは、敵であるペリシテの陣地になっており、そしてアドラムとベツレヘムは、かなりの距離がありました。それにも関わらず、三人の勇士が、命がけで敵の陣営を突破し、何とベツレヘムの井戸...
ぶどうの木 | 2020.11.19 Thu 08:00
“それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。”(マタイ7:24) 賢い人は御言葉を聞き、愚かな人は御言葉を聞かないと言うなら、わかりやすいのですが、どちらも御言葉を聞いているのです。賢い人は「ことばを聞いて、それを行なう」、愚かな人は「ことばを聞いて、それを行なわない」という違いなのです。愚かな人も、御言葉を喜んで聞き、御言葉を学ぶ人なのです。 御言葉を聞かずに反発しているなら、自分でも認識できるのです...
ぶどうの木 | 2020.11.18 Wed 08:07
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