[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""] 〜癒し〜のブログ記事をまとめ読み! 全1,839件の92ページ目 | JUGEMブログ

>
〜癒し〜
  • JUGEMテーマ

ブログテーマ

ユーザーテーマ

〜癒し〜

このテーマに投稿された記事:1839件 | このテーマのURL:https://jugem.jp/theme/c60/508/
〜癒し〜
このテーマについて
癒される音楽・曲
キレイになれる曲
このテーマの作成者
作者のブログへ:「crown-jewel」さんのブログ
その他のテーマ:「crown-jewel」さんが作成したテーマ一覧(1件)
このテーマで記事を投稿する
このテーマに投稿された記事
rss

< 87  88  89  90  91  92  93  94  95  96  97 >

主を覚える

“あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。 ” (申命記8:18)   イスラエルの民は、出エジプトを果たし、約束の地カナンを目指して前進し続けて来ました。そして、その約束の地に入っても、さらに信仰は必要です。良い地に入って食べて満ち足りた後も、高ぶることの無いように、「主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい」と言われています。   神を信じて生きるのは、何か...

ぶどうの木 | 2018.02.26 Mon 10:22

自分のしていることがわからない

“わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 ” (ローマ7:15)   ある人が、どうしても愛せない人がいました。嫌いで、憎しみをどうする事もできませんでした。しかし、憎しみには、とがめを感じ、罪責感があります。罪意識にさいなまれ、平安もなく、その罪意識から逃れたいがために、逆に、相手に親切にしようと頑張りました。憎しみを隠し、ふたをし、罪責感を何とかしたいばかりに、何とか礼儀正しく接し、愛そうと...

ぶどうの木 | 2018.02.26 Mon 10:15

わたしは山に向かって目をあげる

“わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 ”  (詩篇121:1-2)        「山に目を上げ、私の助けはどこから来るのか」これは、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものです。前に立ちはだかる困難な険しい山々、苦難が待ち受ける行く手の山々に、助けがあるでしょうか。エルサレムは遙か彼方であり、どんな危険が待っているかわからなけれども、巡礼者は、立ちはだかる山々よりも更に上に目を注ぎました。   「私の助...

ぶどうの木 | 2018.02.20 Tue 10:12

神の賜物と召命

“神の賜物と召しとは、変えられることがない。 ”  (ローマ11:29)   私たちは神の一方的な恵みで、救いの賜物と聖霊の賜物を受けました。私たちは天使もうらやむようなすばらしい身分を与えられました。私たちは、神の子どもであり、アブラハムの祝福を受け継ぐ者です。ただで受けたもの、恵みだからといって賜物を軽んじてはいけません。   賜物を無駄にしないで、もっと極めていきましょう。私たちは、赦され、永遠の愛で愛されているのですから、喜び、感謝にあふれて生きましょう。 すべ...

ぶどうの木 | 2018.02.20 Tue 10:09

勝利の右の手

“恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。” (イザヤ41:10)   “見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである」。 ”  (イザヤ12:2)   “たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと...

ぶどうの木 | 2018.02.19 Mon 10:30

神の御業が現れるため

“イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。”  (ヨハネ9:3)   主は、盲人の目に泥を塗り、シロアムの池で洗うように言われました。シロアムの池はエルサレムから1キロほどですが、目の見えない人が行くのは大変な事です。もし初めての道なら、どんなに困難な事でしょう。更に池は下って行かねばならないのです。   そこで、彼は行って、洗ったとありますが、いい加減な気持ちでは、決して出来ない...

ぶどうの木 | 2018.02.06 Tue 10:22

御言葉に聞く

“わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」“  (使徒6:4)   人々がどんどん救われ、聖霊が力強く働く、初代教会に問題が起きました。ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、やもめ達が、毎日の配給で、なおざりにされているとの苦情がきました。そこで12使徒は、弟子たち全員を呼び集め、この問題の解決に当たる時に、御言葉の奉仕がまず一番大切で、最優先であることを伝えました。   神の言葉を教える事を後回しにして、食卓の事に仕える...

ぶどうの木 | 2018.02.06 Tue 10:17

人の語るすべての事に心を止めてはならない

”人の語るすべての事に心をとめてはならない。これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。 ”   (伝道7:21)   対人関係で行き違いが生じ、人からのちょっとしたあの言葉、この言葉がひっかかり、ひどく気になり、心が辛くなり、思い煩いや不安材料となる事があります。   面と向かって批判されたり、責められたりすると、心痛く、沈み込んでしまいます。よく振り返ってみて、もし自分の側に、落ち度があるなら、悔い改めること、相手に謝ることが必要です。 &n...

ぶどうの木 | 2018.02.05 Mon 10:28

人を誘惑するもの

“だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 ”  (ヤコブ1:13)   サムソンは、ナジル人であり、神から力の賜物を与えられていました。そこに美しいデリラという大きな誘惑が来ました。   サタンの誘惑は、人の内側にある欲望に働きかけて来ます。巧妙にほんの少しづつ、まとわりつくように念入りに働きかけて来ます。最初は、少し位大丈夫と油断してしまうのです。し...

ぶどうの木 | 2018.02.05 Mon 10:21

その歩みを導く者は主である

“人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。 ” (箴言16:9)   ある人が、神学校への導きを受けました。祈りを重ね、確信を与えられたので入学を果たしました。主の示しであり、経済的な必要は、すべて備えられると信じた上での決心でした。貯えからの生活でしたが、学生生活の間に、不意の多額の出費や、様々な想定外の必要が生じて、途中で貯金が尽きてしまいました。最終学年に進級する時に、授業料が払えなくなりました。   払えなければ退学です。御心を確信して来たは...

ぶどうの木 | 2018.02.05 Mon 10:17

このテーマに記事を投稿する"

< 87  88  89  90  91  92  93  94  95  96  97 >

全1000件中 911 - 920 件表示 (92/100 ページ)

[PR] レンタルサーバー heteml [ヘテムル]
あなたのクリエイティブを刺激する、
200.71GBの大容量と便利な高機能!