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名前をペトリッサ・フォン・ビルケンゼーという修道女は、久しく修道院長を務め(1297〜1307年)、従順の誓いを守り、きわめて膨大な仕事を引き受けてまいりました。 亡くなる前の三日間、彼女は、自分の小房に座しておりましたが、このとき、聖主が、幼子の姿でおいでになられました。幼子イエズスは、愉えようもないほど麗しく、しかも彼女の眼の前で愛くるしく戯れました。 彼女は、言いいました、 「可愛いらしい子よ、あなたにはお母さんがおありなの。」 「ええ、」 と、幼子は応えました。 「...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.30 Fri 11:53
エルゼ(エルスベト)・フォン・ザクセンハムという修道女は、高い山地の生まれで、バイエルン大公の代官と結婚しておりましたが、夫が亡くなられたので私たちの修道院に入り、善良な修道女となりました。 彼女が、修道院の一員となられてしばらく経ってからの頃でした。 聖主が彼女にあらわれて言われました、 「エルスベトよ、なぜ、あなたは異郷へ来たのか。」 「聖主よ、あなたのためです。」 と、彼女は応えました。 すると、聖主は再び言われました、 「エルスベトよ、なぜ異郷へ来たのか...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.30 Fri 11:07
アンナ・フォン・ヴァイタースドルフという修道女がいました。 彼女は、熱心な神の碑(はしため)でした。修道院のもろもろの聖務に励み、しかも、まことに勤勉でした。彼女は施療院長となり、このため、大変な苦労を重ねました。その任を解かれたとき、彼女は、もう二度と修道院の大きな任務には就きたくないと考えました。その職務で耐え忍んだ苦労のせいも手伝って彼女は、そのことを実際、口にしてしまいました。 さて、その後、降誕祭が訪れたとき、レーゲンスブルクの司教ニコラウス様が、この修道院で祝日を祝いた...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.30 Fri 04:39
メヒティルト・フォン・ナイトシュタインという名前の修道女は、ヒルシュべルク伯の宮廷からやって来られて、熱心な神の碑(はしため)となられました。毎日彼女は、 「神が、よき最期を授けて下さいますように。」 と、願って祈るたびに泣くのでした。 神は、この願いを聞き届けられ、彼女に敬虔なる死をお与えになりました。死後、彼女は、再び現れてこう語られました。 「神は、私が、修道院に誠を尽くしたこと、とりわけ修道院長〔在任1283〜97年〕として誠意をもって聖務に耐えたことをお褒めになられて...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.25 Sun 11:14
ライヒガルトという名前の修道女は、創立者の姉妹で私たちの修道院に入ってこられました。以前、彼女は、べネディクト会の修道女であり、多くの技芸に精通していました。彼女は、私たちの修道院へやって来られると大変な熱意を込めて聖務共唱を努め、三十年間熱心に内陣へ通われました。 彼女は、一日中、けっして聖務を欠かしたことなどありませんでした。また、この三十年間、彼女は、肉を口にされず、入浴もめったにしませんでした。熱心に断食の行をおこないました。彼女は、朝課の後で毎晩起きていましたが、溢れ出る敬...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.25 Sun 11:13
デームート・フォン・ニュルンベルクという名前の修道女がおりました。 彼女は、まだ、修道院に入りたての最下級者たちのもとにいて一度も脱魂や恍惚にあずかりませんでした。彼女の全生涯のあいだ、結局、神は、彼女に特別な聖寵を授けて下さりはしなかったのです。 しかし、彼女は、まことに生き方の点でも、修道会に関わるあらゆる事柄においても、また、徹夜・徹宵や断食や沈黙や聖務共唱や祈りの行いにおいても、聖なる信仰心をもった人でした。 生涯の最期を迎えたとき、彼女は、神に対しどのように振舞うべき...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.25 Sun 10:16
へートヴィヒ・フォン・レーゲンスブルクという名前の修道女がおりました。 たいそうな高齢でした。そのため、彼女は、聖務共唱を欠席したいと思いました。もう歌を聴き取れなくなっていたからでした。 そのとき、ひとつの声がして、 「内陣へ行きなさい。」 と、言われました。 すると、彼女の心に内陣へ行きたいという熱意が、わきあがって来るのを覚え、衰え弱っておりましたが、熱心にそこへ出かけるようになりました。 あるとき、朝課の二つの鐘が鳴るあいだのことでした。 聖主が、年の頃30歳ば...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.25 Sun 10:07
クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵(恵み)についての書』に記された、聖女アーデルハイト・フォン・インゴルシュタットの生涯をお話ししましょう。 彼女は以前、べギンでしたが、その後、私たちの修道院へやって来られました。彼女は、何ごとにおいても修道会の規則を厳格に守り、とりわけ沈黙の行に厳しかったのです。禁じられたいかなる場所でも彼女は、沈黙を破ったことがありませんでした。 内陣にいるとき、歌っている以外は絶えず、 「イエズス・キリスト、イエズス・キリスト、・・・・」 と、...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.24 Sat 16:09
アーデルハイト・フォン・ロートと言う未亡人が、幼い娘たちをともなって修道院にやって来られ、修道女となりました。 姉娘の方は、イルメリーンという名前でした。主は、即座にこの娘に心を留められ、彼女に奇蹟をあらわされ始めました。 ある日のこと、イルメリーンは、他の子供たちとともに四旬節の食卓に着いていました。 このとき、彼女は、12歳でした。子供たちの師が、立ち去ると他の子供たちは話を始めましたが、不意にイルメリーンが、倒れて気を失ってしまったのです。彼女が、再びわれに返ったとき、子供た...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.24 Sat 13:00
⇒ No.1からのつづき・・・・ その後、主は、彼女に豊かな聖寵を援けられました。 受難週の水曜日、彼女は、法悦(恍惚:トランス状態)にわれを忘れ、それから、復活祭前夜まで続きました。このとき彼女は、主の身に起こったことどもの一切を眼のあたりにしました。彼女は、主が、鞭打ちの柱で打たれたとき、三打目に血を流されたのに気づきました。 また、主は十字架上から彼女にこう言われました、 「愛する者よ、私はこれをあなたゆえに耐えているのです。あなたは私のために何を耐えますか。」 彼女が...
【大警告】ヨハネの黙示録とマリアワルトルタ著「時の終り」から解明 | 2009.10.22 Thu 20:48
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