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“ギデオンは言った、「ああ、君よ、主がわたしたちと共におられるならば、どうしてこれらの事がわたしたちに臨んだのでしょう。わたしたちの先祖が『主はわれわれをエジプトから導き上られたではないか』といって、わたしたちに告げたそのすべての不思議なみわざはどこにありますか。今、主はわたしたちを捨てて、ミデアンびとの手にわたされました」。”(士師6:13) 士師記は、イスラエルが、神から離れては、立ち返るの繰り返しが描かれています。「民は堕落し、偶像礼拝に陥ると、必ず主は民を敵の手に渡...
ぶどうの木 | 2020.06.10 Wed 08:37
“ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。”(1サムエル21:10) 私たちは、時には祈らないで行動し、失敗した事があるでしょう。ダビデは、ある時、祈らずに失敗しました。ずっとサウルに命をつけ狙われ逃げ回り、死と隣り合わせの日々でした。サウルの執拗な追跡に窮地に陥り、事もあろうに敵地に逃げ込む決心をしました。しかしダビデは、祈らずに動いていまい、失敗しました。 アキシュのもとに身を寄せましたが、イスラエルと戦うはめになってしまいま...
ぶどうの木 | 2020.06.09 Tue 07:57
“この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。” (使徒14:9-10) パウロは、ルステラで御言葉を語っていました。生まれつき足のきかない男性が座って、パウロの語る御言葉にじっと耳を傾けていました。彼は生まれた時から一度も歩く事ができず、自分の足に関して、何もどうする事もできない完全に無力の状態でした。 自分で何もする事がで...
ぶどうの木 | 2020.06.08 Mon 08:20
“高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。”(?コリント12:7) パウロは、かつて誰も経験したことがない、第三の天にまで引き上げられるという特別な体験をしました。人間には語る事を許されていない、口に出す事の出来ない言葉を聞きました。特に、パウロにだけに許された特殊な体験でした。 そのパウロに、肉体に一つのとげが与えられました。それはサタンからのとげであり、非常な苦痛を伴うものでし...
ぶどうの木 | 2020.06.07 Sun 06:06
“貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。”(箴言19:17) “耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、自分が呼ぶときに、聞かれない。”(箴言21:13) 困窮者の必要に、目、耳を閉じる事は、祈りの答えに関係する重大なことで、祈りの生活に直結する問題なのです。困っている人がいる時に、見なかったことにすると責任を感じなくて済むし、悩まなくて済みます。しばしば時間、労力、富、犠牲を払うことを嫌がり、面倒に思ってしまうことがあります。 しか...
ぶどうの木 | 2020.06.06 Sat 08:15
“イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。”(マタイ4:4) 主イエスが40日の断食後、空腹の時に、悪魔が誘惑に来ました。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」このままだと死んでしまうから、元も子もなく、人類の救いを実現できない。神の子なら奇跡を起こすことができるので、石をパンに変えて、とにかくは生き延びる事が先決だと、主イエスを誘惑しました。 &nbs...
ぶどうの木 | 2020.06.05 Fri 08:13
“彼女の出産の日がきたとき、胎内にはふたごがあった。さきに出たのは赤くて全身毛ごろものようであった。それで名をエサウと名づけた。その後に弟が出た。その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで名をヤコブと名づけた。リベカが彼らを産んだ時、イサクは六十歳であった。”(創世記25:24-26) イサクとリベカ夫妻は、20年間不妊の苦しみを味わいました。私たちの人生には、なぜと思う事が次々と起きます。平穏な日々に、突如の試練が臨む事があり、余りの苦しみに、主が見えなくなるように感じる時も...
ぶどうの木 | 2020.06.04 Thu 07:51
“自分たちも策略をめぐらし、行って食料品を準備し、古びた袋と、古びて破れたのを繕ったぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、 繕った古ぐつを足にはき、古びた着物を身につけた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、砕けていた。”(ヨシュア9:4-5) ギブオンの住人たちは、ヨシュアがエリコとアイにした事を聞きイスラエルとの戦いを恐れ、避けようとしました。そのために計略し、変装してやって来ました。遠くから旅して来たかのように見せるため、古びた袋、古い着物、ボロボロのパンを持って、遠国から来た...
ぶどうの木 | 2020.06.03 Wed 07:53
“さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。”(マタイ9:9) マタイは取税人でした。当時、ローマに代わり税金徴収をしていたのが、ユダヤ人の取税人で、つまり同胞から不当に取り立て、私腹を肥やしていました。ローマの手先、裏切り者と嫌われ、蔑視されていました。マタイは、罪を犯しており、平安が無く自己嫌悪にも陥っていたことでしょう。財は築きましたが、喜び無く、幸せで...
ぶどうの木 | 2020.06.02 Tue 08:08
“試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。”(ヤコブ1:12) 試みという言葉は、試練、誘惑のどちらにも使われています。しかし、試練は神からであり、誘惑はサタンからです。源が違うので、惑わされないように気をつけましょう。神は、誰をも決して罪に誘惑されません。断じてないのです。悪への誘惑は、神からではありません。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」 自らの欲...
ぶどうの木 | 2020.06.01 Mon 08:12
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