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“神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、長く時がたってから、先に引用したとおり、「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」とダビデをとおして言われたのである。”(ヘブル4:7) イスラエルの民は、主が乳と蜜の地カナンに導くと約束して下さったのに、不信仰のゆえに入る事が出来ませんでした。カナンの地に導き入れるとの、主の言葉を聞きながら、信じる事なく、心を頑なにしたからでした。「もし御声を聞くならば・・心を頑なにしてはならない」のように、主の御声を聞...
ぶどうの木 | 2019.05.19 Sun 18:26
“これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。” (ヤコブ1:25) 御言葉は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」と言います。泣く者と共に泣くのは、映画を観て感情移入して泣けますし、余りにも悲惨な報道にも、同情やあわれみの気持になります。泣く者と共に泣くのは、自分が優位に立っているので、まだできやすく、肉にでもできるのです。 しかしこれは御言葉の真意では...
ぶどうの木 | 2019.05.18 Sat 08:03
“雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。” (出エジプト40:36-37) イスラエルの民は、エジプトを出て、荒野にある間、常に雲の柱、火の柱を見ていました。進む事にも、とどまる事にも、常に雲と火により、神の明確な指示がありました。雲が上ると進み、主が止まられる所で、とどまりました。 私たちは、停止が苦痛でたまらず、早く進みたいと思うことがないでしょうか。...
ぶどうの木 | 2019.05.17 Fri 07:38
“むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。” (ローマ3:8) 神は、主の血潮のゆえに、完全に罪を赦してくだり、無罪放免にしてくださいます。では、何をしてもどうせ赦されるのなら、罪を犯してもいいではないかというのは、間違っています。安易に罪を犯してはなりません。決して恵みを、放縦に変えてはならないのです。何でも赦されるからと、安易に考えてはならないのです。 &nb...
ぶどうの木 | 2019.05.16 Thu 07:51
“主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。” (詩篇37:4) ある人は、ある事に強い願望があり、「○○を与えてくれたら、神がおられることを信じる」との祈りをしました。ところが、その事は成らず、何も起こりませんでした。しかし、その事についてよく考えた時に、神が、なぜこんな自己中心な自分勝手な祈りに答えなければならないのか、自分が間違っていると思えました。 私たちにも、あるかもしれません。神が自分の思い通りに、祈りに答えてくれたなら、神を信じよう、そう...
ぶどうの木 | 2019.05.15 Wed 15:59
“だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。” (ヘブル10:35-36) 主は、すべての事において、定まった「神の時」があると言っています。又、「私の時は、御手の中にあります」とあり、主も「時」を非常に重要とされています。「わたしの時がまだ満ちていないからです」「わたしの時はまだ来ていません」の通り「わたしの時」があると「見なさい。時が来まし...
ぶどうの木 | 2019.05.14 Tue 09:51
“わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。” (詩篇119:15-16) 有名な話ですが、ある親子がロバを連れて旅をしていました。すると通行人が「せっかくロバを連れていて、誰も乗っていないなんて」と言いました。父親は「そうだ」と思い、息子をロバに乗せました。すると通行人が「親不孝な息子だ。自分がロバに乗って、父親を歩かせるなんて」と言いました。そう言われた息子は降りて、父親をロバに乗せました。 す...
ぶどうの木 | 2019.05.13 Mon 11:36
“そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。” (マルコ6:51) 弟子たちが、夜の嵐に漕ぎ悩まされていた中、主イエスが湖の上を歩いて、弟子たちのもとに来られた主を「幽霊だと思い、恐れで叫び声をあげた」とあります。弟子たちは、イエスを見ておびえてしまったのだす。なぜ、主が幽霊だと思ったのでしょうか。「彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていた」弟子たちの心が堅く閉じていたからでした。 弟子たちは、主を見ても、主...
ぶどうの木 | 2019.05.12 Sun 16:22
“それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。” (使徒16:6) 毎日の生活の中で、主の御心を知り、聖霊に導かれて歩むためには、まず御言葉が大切です。主は、聖霊の導きと御言葉は合致しているので、御言葉と相反する導きは決してありません。聖霊は御言葉を通して語りかけられます。人生の大切な局面では、御言葉が与えられるように祈りましょう。さらに、御霊の働きにより、聖霊は環境、状況を通して示されます。 パウロの一行は...
ぶどうの木 | 2019.05.11 Sat 19:11
“料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)” (ヨハネ2:9) カナの結婚式で、ぶどう酒が無くなった時に、主は、水をぶどう酒に変える奇跡をされました。その時に、手伝いの者たちに80〜120リットルの水がめ6ヶに、水を汲ませました。彼らは、ぶどう酒が必要なのに、なぜ水を汲むのか、何の意味があるのかわからないまま、主が言われた通りに水を汲みました。 その水が、ぶどう酒に変えられました。世話役や結...
ぶどうの木 | 2019.05.10 Fri 07:59
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