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“さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。” (出エジプト3:10) 80歳の時にモーセは、神よりエジプトからイスラエルの民を救い出すリーダーとして召されました。しかし、モーセは80歳の年老いた一介の羊飼いに何ができようか、以前40歳の時に事を起こして、失敗した経験があり、今さらこの老人の自分にできる事など何もないと思っていました。 そのようなモーセに、主は数々のみわざを見せて、この働きは、神の力によるものであ...
ぶどうの木 | 2019.05.25 Sat 11:25
“イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 ‥ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。” (マタイ13:3‥8) 種は、御言葉、土地は、私たちの心です。4つの地に御言葉は蒔かれましたが、結果がそれぞれ全く違いました。実を結ぶ人生は、どのように御言葉を受けとめるか、私たちの心にかかっています。 道ばたの心は、御言葉が心に入っていないのです。偏見や自分の思いが強く、御言葉をはじい...
ぶどうの木 | 2019.05.24 Fri 16:54
“悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。” (エペソ6:11-12) 聖書における罪は、真っ黒な苦いものに思えますが、そうではなく、罪には一時の快楽があるのです。罪は楽しく甘いもので、肉を喜ばせるのです。もし罪が苦いものであれば、こんなにも罪の問題は起こりません。苦いものになど、誰も好んで近寄らないからです。 罪は、...
ぶどうの木 | 2019.05.23 Thu 08:01
“夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いからわたしを安らかに救い出されます。” (詩篇55:17-18) 詩篇55篇で、ダビデは、親友から裏切られ、胸も張り裂けんばかりに苦しんでいます。苦しみも悲しみも喜びも共にしてきた信頼する同輩である友が、最も恐ろしい敵となって立ち向かって、自分を攻撃して来ます。いかばかりの苦しみ、辛さ、恐怖でしょうか。 「私の心は、内にもだえ、死の...
ぶどうの木 | 2019.05.22 Wed 18:34
“エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、わたしがかつて、あなたがたを住まわせようと、手をあげて誓った地に、はいることができないであろう。” (民数記13:30) イスラエルの民が、エジプトでの苦役で、主に叫び求めた時に、主はモーセを遣わし民を救い出されました。主の偉大な奇跡によって紅海が分けられ、出エジプトを果たし、偉大な奇跡を目の当たりに見た民は、どれほど喜び踊ったことでしょう。そしてモーセのもとで、民は、主が約束して下さった乳の蜜の流れる地、カナンに向かいました。 カナ...
ぶどうの木 | 2019.05.21 Tue 08:42
“だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。” (マタイ6:31-32) 主は、「神の国とその義とをまず第一に求めよ」そうするなら、神の国と義も与えられ、それに加えて、生活の必要も与えられ、両方とも与えられる言われています。私たちは、これをよく逆にしてしまいやすいのです。子供が菓子のおまけが欲しくて...
ぶどうの木 | 2019.05.20 Mon 09:13
“神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、長く時がたってから、先に引用したとおり、「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」とダビデをとおして言われたのである。”(ヘブル4:7) イスラエルの民は、主が乳と蜜の地カナンに導くと約束して下さったのに、不信仰のゆえに入る事が出来ませんでした。カナンの地に導き入れるとの、主の言葉を聞きながら、信じる事なく、心を頑なにしたからでした。「もし御声を聞くならば・・心を頑なにしてはならない」のように、主の御声を聞...
ぶどうの木 | 2019.05.19 Sun 18:26
“これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。” (ヤコブ1:25) 御言葉は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」と言います。泣く者と共に泣くのは、映画を観て感情移入して泣けますし、余りにも悲惨な報道にも、同情やあわれみの気持になります。泣く者と共に泣くのは、自分が優位に立っているので、まだできやすく、肉にでもできるのです。 しかしこれは御言葉の真意では...
ぶどうの木 | 2019.05.18 Sat 08:03
“雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。” (出エジプト40:36-37) イスラエルの民は、エジプトを出て、荒野にある間、常に雲の柱、火の柱を見ていました。進む事にも、とどまる事にも、常に雲と火により、神の明確な指示がありました。雲が上ると進み、主が止まられる所で、とどまりました。 私たちは、停止が苦痛でたまらず、早く進みたいと思うことがないでしょうか。...
ぶどうの木 | 2019.05.17 Fri 07:38
“むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。” (ローマ3:8) 神は、主の血潮のゆえに、完全に罪を赦してくだり、無罪放免にしてくださいます。では、何をしてもどうせ赦されるのなら、罪を犯してもいいではないかというのは、間違っています。安易に罪を犯してはなりません。決して恵みを、放縦に変えてはならないのです。何でも赦されるからと、安易に考えてはならないのです。 &nb...
ぶどうの木 | 2019.05.16 Thu 07:51
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