[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""]
“日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。” (詩篇68:19) 私たちは、重荷を、主に委ねることが良いとは分かっていても、中々委ねる事ができないことがあります。 委ねるとは、石を転がすというような意味で、主の上に、あなたの重石である重荷を転がしてしまうことなのです。石を転がすと、その転がした石は、主の上にあって、自分のもとにはもう無いのです。そのように、重荷をきっぱりと、主に手放してしまうことです。すると重荷や心配事が、主の手に渡ってしま...
ぶどうの木 | 2019.05.08 Wed 16:12
“主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。 ” (詩篇130:3-4) 聖書には、信仰者の失敗がありのまま記されています。世にある歴史書などは、都合悪い部分は隠すところです。しかし聖書は、赤裸々に失敗したことも書かれています。 アダムとエバは失敗して罪を選んで、神から隠れました。ノアは酔っ払って失敗し、アブラハムは妻を妹だと嘘をつき、神の時を待てずに...
ぶどうの木 | 2019.05.07 Tue 10:39
“さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。神は紅海に沿う荒野の道に、民を回らされた。” (出エジプト13:17-18) エジプトで苦難にあえいでいたイスラエルの民は、主に助けを叫びました。すると主は、モーセを民の救出のために送られました。幾度も前言を翻すパロに対して、主の奇跡を持って対抗し、とうとうパロは観念し出て行くよう告げました。意気揚々と大勝利で、男子...
ぶどうの木 | 2019.05.06 Mon 13:18
“主の言葉がエリヤに臨んだ、「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。” (?列王17:2-5) 主はエリヤを一歩、また一歩と導かれました。まずアハブ王に雨が降らない事を告げるようにと言われました。悪王なので王の気に入らない事を言えば、その場で打ち首にもなりますが...
ぶどうの木 | 2019.05.05 Sun 18:07
“乏しい者の祈をかえりみ、彼らの願いをかろしめられないからです。” (詩篇102:17) ある人が、ある月末に経済的苦境に陥りました。子供のミルクが無くなってしまい、買うお金が無かったので、夫が、とりあえず友人に借りると言いました。給料が入ればすぐに返せるので、夫の友人は快く貸してくれると思うけれど、自分はまず主に祈り、主に頼りたいと思いました。 心の中で主に向けていると、夫が、「先にちょっと父親を見て来る」と出ていきました。すぐ近くで独り住まいの父親が体調崩し伏せっ...
ぶどうの木 | 2019.05.05 Sun 05:50
“すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。” (マタイ15:27) 異邦人の母親の娘が悪霊につかれており、必死の思いで、主に助けを叫びました。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」この母親の全身の叫び、求めに、主は応じて下さるのと思っていました。 しかし何と、主は一言もお答えにならなかったのです。沈黙されたままで、無視された状態でしたが、彼女は諦めず、尚も叫び続けて、主の後をついて来ました。弟...
ぶどうの木 | 2019.05.03 Fri 07:34
“時にひとりの副官すなわち王がその人の手によりかかっていた者が神の人に答えて言った、「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえましょうか」。エリシャは言った、「あなたは自分の目をもってそれを見るであろう。しかしそれを食べることはなかろう」” (?列王7:2) 飢饉で人々が餓死する非常事態の中、エリシャは「明日小麦や大麦が溢れるばかりにある」と語りました。すると副官はそんな事があり得ようかと言いました。それを聞いてエリシャは、あなたはそれを見るが食べられないと預言しました。...
ぶどうの木 | 2019.05.02 Thu 16:52
“神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。” (?ヨハネ5:3-4) 私たちは、誰しも主に従って歩みたいと願っています、そのため、職場や近隣などで、嫌な相手と遭遇すると「愛さなくては、受け入れなくては」と思うのです。それは嫌いになったり、憎んだりすると平安が失せて気持ちが辛くなるので、余計に愛さなくてはと頑張るので...
ぶどうの木 | 2019.05.01 Wed 08:01
“そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。” (マルコ5:41) ヤイロの娘が危篤に陥り、どんな医者でもだめだでした。ヤイロは、主なら必ず癒して下さると信じたので、遠距離を急ぎやって来て、娘が死にかけているので来て欲しいと主にひれ伏し必死に願いましたので、主は共に出かけられました。しかし一刻をも争う、心は焦る時に妨げが入り、長血の女性が癒しを求めて来たのでした。 主は、その女性を受け止め、対応され手間...
ぶどうの木 | 2019.04.30 Tue 08:05
“イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。” (ヨハネ21:12) ペテロは、主を呪いをかけてまで否み、裏切るという罪を犯してしまいました。主からガリラヤに行くよう伝えられ、故郷に戻ったペテロは、主にどのような顔で会えばよいのか、合わせる顔がない、自分はもう弟子失格で、心はどれだけ重いものだったことでしょうか。何もなすすべなく自分に出来ることは、漁しかありませんで...
ぶどうの木 | 2019.04.29 Mon 10:22
全1000件中 631 - 640 件表示 (64/100 ページ)