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“そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。” (?列王19:3-4) エリヤはバアルとの戦いで、大勝利を遂げました。しかし、怒ったイゼベルはエリヤ殺害命令を下しました。するとその途端、エリヤは恐怖の余り逃亡し、死を願ったのでし...
ぶどうの木 | 2019.04.28 Sun 05:42
JUGEMテーマ:〜癒し〜 無料ヒーリングの記事はこちらです。 必要な方は上記記事をご参照ください 当HPは、下記の期間中お休みをいただきます。 4月29日(月)から5月2日(木)まで 該当期間中も、通常通りお好きな時にいつでも ご連絡をいただくことができますが、 お返事はのんびりめです 当HPのお返事は1日〜最長9日ですから、 あまり影響はないかもしれませんが、該当期間中の リアルタイムでのセッションはお受けできません。 連休中のご予約については個別にご相談ください。 通常時よりもPC...
Clearness Work 〜Happiness blog of the Attunements〜 | 2019.04.27 Sat 09:26
“感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す」(詩篇50:23) ジョニーという女性の証しですが、彼女は、水泳の飛び込みに失敗し、脊髄を損傷し何とか命だけは取りとめました。しかし身体は一生涯、動かないとの宣告を受けた時に、絶望のどん底に陥り、死を求めました。 「鏡に映る姿はとても人間ではない。窪んで落ち込んだ2つの眼球は、血走ってどんよりしていた。36キロの身体は、黄疸で黄色い皮膚に覆われた、がい骨だ。不気味に太った頭、歯...
ぶどうの木 | 2019.04.26 Fri 15:32
“子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。” (?ヨハネ3:18) 困っている人や助けを求める人に対して、私たちはどのように向き合っているでしょうか。良きサマリヤ人の箇所の祭司やレビ人のように、関わるのが嫌で逃げてしまうでしょうか。時間を取られたくない、予定外の仕事が入るのが面倒で、労力も経済的犠牲も払いたくないと思うでしょうか。しかし「困っている者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶ時に答えられない」とあります。  ...
ぶどうの木 | 2019.04.25 Thu 07:48
“イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。” (マルコ8:23-24) ベッサイダで、人々が盲人を連れて来て、主に触って下さるよう願いました。すると主は、盲人の両眼につばをつけ、両手を彼に当てられました。「何か見えるか」と問われると、彼は「人が見え、木のようだが、歩いているのが見える」と言いました。見えるのですが、はっきり...
ぶどうの木 | 2019.04.23 Tue 10:32
“モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。” (出エジプト40:35) 出エジプト記は、ヨセフを知らない新しい王が、民を苦しめるところから始まります。民は苦役にうめき、叫び、その苦しみの叫びは神に届き、そして記事の最後は「主の栄光が幕屋に満ちた」で終わっています。 「わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」主は、幕屋を作るように命じられました。それはアロンとアロンの子たちを祭司と...
ぶどうの木 | 2019.04.23 Tue 08:00
“イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。” (マルコ4:40) 夕刻になって、主は「向こう岸に渡ろう」と言われました。舟に乗り込むや、主はとものほうで熟睡されました。その時に、大嵐に会い、弟子たちは右往左往、パニックに陥りました。舟は波をかぶり、水で溢れ、このまま行けば沈没し、自分たちは溺れ死んでしまう、嵐も慣れているであろうベテラン漁師たちが身の危険を感じるほどの大嵐でした。しかし主はそのような中、全き平安の中で安心して眠り続けておら...
ぶどうの木 | 2019.04.22 Mon 10:33
“イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。” (ヨハネ20:29) 主は、弟子たちに幾度も、苦しみを受け、殺され、三日目によみがえると語られました。しかし弟子たちは信じていませんでした。ローマ帝国をくつがえし、主が地上の王とし君臨し、この世界を支配し王国を打ち立てられると思い込んでいました。そのため犯罪人の極悪刑である十字架など言語道断、有り得ない事でした。だから決して信じないし、受け入れなかったのです。 主...
ぶどうの木 | 2019.04.21 Sun 19:05
“これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として—事実そのとおりであるが—受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。” (?テサロニケ2:13) 私たちは、聖書を読む時、「愛している、慈しみ深い、あわれみは尽きない、高価で尊い、赦されている、罪しない」そのような御言葉は、非常に心地良くて大好きです。しかし...
ぶどうの木 | 2019.04.20 Sat 16:12
“そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。” (ルカ23:34) ある働き人が、若い神学生時代に、友人の学生たちとの間にトラブルが起きて、言い争いになり、喧嘩ごしになってしまい、険悪になり口もきかない状態になってしまいました。互いが皆、自分は正しいと思っていて、自分自身も怒りが沸き、腹が立って仕方がなかったのです。 敵対心や赦せない思いで、悶々となり、自分は...
ぶどうの木 | 2019.04.19 Fri 06:59
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