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JUGEMテーマ:教会キリスト教 「預言者は自分の故郷では尊ばれない」というイエスご自身の証言(44)。 故郷のガリラヤの人々はイエスを歓迎はしました。しかし、それは「イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたから」でした(45)。カナのイエスの許を訪ねた王室の役人にも最初は「医者よ、自分を治せ」(ルカ4:23)、治すのを見たら信じるから、という態度が見えます。いずれも「見て信じる」信仰です。そこには、神の御子であり彼らの救い主であるイエスに対する相応しい尊敬も、深い人格...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 23:44
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「人に賢明さがあれば、怒りを遅くする。 その人の栄誉は、背きを見過ごすことにある。」(11) 「寛大さ」の価値が教えられています。それは、「賢明」であり「栄誉」です。 野放しの怒りがもてはやされ、容赦ない裁きが賞賛される風潮の中にあります。世はスポーツではなく喧嘩の延長線上の格闘技ブームであり、入国管理局の重箱の隅をつつくような審査は一向に止みません。日常生活の中でも、人の小さな過ちさえ見過ごすことができないでいることはないでしょうか...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 09:04
JUGEMテーマ:教会キリスト教 弟子たちは、イエスと話していたサマリア人の女にもイエスの行動にも何の関心も示しませんでした(27)。本来ならイエスに学んだ彼らこそ、サマリアの人々に関心を寄せ、イエスとその驚くべきみわざを宣べ伝えるべき人たちでした。しかし、サマリア宣教に用いられたのは、この罪深い生活をして来た一人の女でした。人と会うことを避けていたこの女は、思わず大切な水がめをその場において駆け出し、町の人々にイエスとイエスのなさったことを告げます。そして、この方こそキリストではな...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.15 Fri 08:48
JUGEMテーマ:教会キリスト教 他人をさばく者たちには例外なく(「すべて」)「弁解の余地はない」とパウロは言います。なぜなら、すべての人々はさばかれるべき罪人だからです(1)。 「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。」(16) 自分自身をさばくことにならないように、先走ったさばきをせず、いつも「悔い改める心」(5)をもって善を行い、神の前を歩みたいと思います。そして、他人のさばきについてはすべて神の...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.14 Thu 07:46
JUGEMテーマ:教会キリスト教 女の魂の渇きを永遠に満たすため、主は渇きの原因の自覚へと女を導かれます(16−18)。それは、渇きを満たすため男性を求めていたことにあります。しかしいくら結婚と離婚を繰り返しても彼女の心は満たされることがありませんでした。真の神を礼拝すること、真の神との交わりをいただくことだけが、人の心を満たすからです。ここに、すべての人間に共通した渇きの原因があります。それは、真の神を退けたまま他のもので心を満たそうとする「偶像崇拝」です。 罪の自覚へと導かれた...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.14 Thu 07:04
JUGEMテーマ:教会キリスト教 悪しき者たちの心の思いは、「私は揺るがされることがなく 代々にわたってわざわいにあわない」、「神は忘れているのだ。顔を隠して 永久に見ることはないのだ」に尽きます(6)。彼らはどこかで自分の悪を知っています。でも、貧しい者、虐げられた者たちをあわれみ、彼らのために必ず正しい裁きを必ず行われる神を知りません。知ろうともしません。 しかし、作者は知っています。「あなたは見ておられました。 労苦と苦痛を じっと見つめておられました。 それを御手の中に収める...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.13 Wed 08:36
JUGEMテーマ:教会キリスト教 サマリアの女がイエスと出会い、救われて行くのを見ます。 女はサマリア人であり、通常なら涼しいうちに来るはずの井戸に真昼にやって来る訳あり女。一方イエスは公然と女性に話しかけるのは「恥」とされた男であり、サマリア人と激しく反目していたはずのユダヤ人であり、汚れなき教師です。通常なら決して出会うはずのない、何の接点もない二人が出会えたのは、イエスが「旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられ」、水を汲んでくれる誰かを必要としておられた...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.13 Wed 08:21
JUGEMテーマ:教会キリスト教 パウロは何とかローマの人々にも福音を宣べ伝えたいと思っています(15)。福音とは、イエスそのものです。イエスは、「信じるすべての人に救いをもたらす神の力」です(16)。なぜそのように言えるのでしょうか。それは、そのイエスに「神の義が啓示されていて」、それがそれを聞く人々を「信仰に始まり信仰に進ませる」からだ、とあります(17)。 「義」は法廷用語で、審判者により、被告や刑期を終えた人が正しいと認められることです。彼らの道徳的正しさのことではありません...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.12 Tue 11:45
JUGEMテーマ:教会キリスト教 その弟子たちが水でバプテスマを授けることだけで、同じ水でバプテスマを授けるヨハネ以上の人気を博したイエス。ヨハネの弟子たちは嫉妬し、党派心に燃えます(22−26)。「私はケファに」「私はパウロに」「私はキリストに」と言って争ったコリントの教会を思い出します。 しかし、当のヨハネはまったく動じず、むしろ自分の立場に満足し喜んでいることを、花婿とその花婿の結婚をそばで喜ぶ友人のたとえで表明します(27−29)。 そして言います。「あの方は盛んになり、私は...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.11 Mon 22:54
JUGEMテーマ:教会キリスト教 詩篇8篇の著者(表題によればダビデと思われる)は、神の威光に圧倒され、人間が神の前に実に取るに足らない者であることに気付かされ、しかしそのような人間である自分をも顧みて下さる恵みに満ち満ちた神に対し、賛美を献げています。「マリアの賛歌」にも通じる、すべての真に「貧しい者」たちが共感できる賛歌です。 すべての高ぶる人々が神の威光の目撃者となって砕かれ、私たちと共に低くなって、神を賛美しますように。特に、政治家、企業人、教師、親といった、その高い地...
田舎牧師のモノローグ | 2022.07.11 Mon 09:40
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