[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""]
“全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう” (創世記13:9) アブラムは、主の御声を聞き、主の示しを受け、それに従い旅立ちました。しかしロトは、主の御声を聞いたわけでなく、祈ったからでもなく、ただ伯父のアブラムについて行っただけでした。伯父と一緒にいれば、利得があると思ったのかも知れないし、ずっとアブラムの後をついて、アブラムの判断に任せたまま歩んで来ました。 ...
ぶどうの木 | 2019.10.06 Sun 05:40
“神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。” (創世記45:7-8) 私たちは、今、対人関係の苦しみ、悩みがあるでしょうか。職場に、あの人さえいなければ、何の問題も無く平穏な日々なのに、この人がいるから、毎日は真っ暗だと思うことがないでしょ...
ぶどうの木 | 2019.10.05 Sat 10:42
“ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。” (?コリント12:9) パウロには、肉体の「とげ」何かの痛みが与えられていました。とげは苦痛で、小さなとげでも刺さると激痛となります。パウロは、主によく仕えるために、この障害となるとげが除かれるようにと、徹底的に祈りました。しかし、主からの答えは「ノー」でした。とげは取り除かれず、わた...
ぶどうの木 | 2019.10.04 Fri 07:54
“わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。” (ピリピ4:11-12) 満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道とも言われています。真の満足は、心から来るものであって、外側からのものではありません。必要は与えられているのに、更に、あれが、これが欲しい、もっ...
ぶどうの木 | 2019.10.03 Thu 08:03
“日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。” (詩篇68:19) ある50才代の会社員が、小さな会社の業績不振で、リストラが目前に迫っていました。家のローンや種々の支払い、今から再就職などあるのかなどと、夫婦で不安にさいなまれました。路頭に迷う大きな不安に、眠れない日々が続きました。目の前が真っ暗になり、食事も喉を通りませんでした。 主は何と言われるかと、祈りに持っていきました。「日々私たちのために、重荷をになわれる主、あなたの重荷を主にゆだ...
ぶどうの木 | 2019.10.02 Wed 07:07
“主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。” (出エジプト13:21-22) イスラエルの民が荒野にある間は、雲の柱、火の柱がずっと共にあり、進むにもとどまるにも、はっきりと導かれました。常に、雲と火により明確な指示がありました。イスラエルの民は、雲の柱、火の柱を通して、いつも主を見、その導きを見ていました。雲が上らないと、上る日まで旅立たなかったとあり、主が...
ぶどうの木 | 2019.10.01 Tue 07:43
“だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 (1ペテロ5:6-7) 主は、「何も思い煩うな」と言われています。何も、いっさいがっさい、思い煩わなくてよい、「主に委ねよ」と言われています。それは、主があなたの事を心配して下さるからです。私たちの目の前こと、心を悩ませている問題も、心配無用で、主に委ねましょう。 &n...
ぶどうの木 | 2019.09.30 Mon 08:14
“さて、過越といわれている除酵祭が近づいた。祭司長たちや律法学者たちは、どうかしてイエスを殺そうと計っていた。民衆を恐れていたからである。そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。” (ルカ22:1-3) “過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。” (ヨハネ13:1) 主は、愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところな...
ぶどうの木 | 2019.09.29 Sun 05:55
“悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。” (詩篇1:1-2) 詩篇記者は、本当の幸せ、生きる喜びを語っています。それは御言葉を喜びとし、昼も夜も主の言葉から離れず、御言葉を口ずさんで生きること、御言葉を心に抱き、思い巡らし、反すうし、御言葉には力がある事を経験していくことです。御言葉に、思いを潜めていく時、心が引き上げられ、潤いや喜び、温もりが流れて来るのです...
ぶどうの木 | 2019.09.28 Sat 07:51
“イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。” (マルコ4:39-40) そろそろ夕暮れという頃に、主はガリラヤ湖で弟子たちに「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われました。弟子たちと共に舟に乗り込むや、主は疲れのため、とものほうで熟睡されました。その時に大嵐が来て、弟子たちはパニックに陥りました。漁師で、よく嵐にも会い、嵐に慣れている彼らでさえ...
ぶどうの木 | 2019.09.19 Thu 07:10
全1000件中 481 - 490 件表示 (49/100 ページ)