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“日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。” (詩篇68:19) ある50才代の会社員が、小さな会社の業績不振で、リストラが目前に迫っていました。家のローンや種々の支払い、今から再就職などあるのかなどと、夫婦で不安にさいなまれました。路頭に迷う大きな不安に、眠れない日々が続きました。目の前が真っ暗になり、食事も喉を通りませんでした。 主は何と言われるかと、祈りに持っていきました。「日々私たちのために、重荷をになわれる主、あなたの重荷を主にゆだ...
ぶどうの木 | 2019.10.02 Wed 07:07
“主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。” (出エジプト13:21-22) イスラエルの民が荒野にある間は、雲の柱、火の柱がずっと共にあり、進むにもとどまるにも、はっきりと導かれました。常に、雲と火により明確な指示がありました。イスラエルの民は、雲の柱、火の柱を通して、いつも主を見、その導きを見ていました。雲が上らないと、上る日まで旅立たなかったとあり、主が...
ぶどうの木 | 2019.10.01 Tue 07:43
“だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 (1ペテロ5:6-7) 主は、「何も思い煩うな」と言われています。何も、いっさいがっさい、思い煩わなくてよい、「主に委ねよ」と言われています。それは、主があなたの事を心配して下さるからです。私たちの目の前こと、心を悩ませている問題も、心配無用で、主に委ねましょう。 &n...
ぶどうの木 | 2019.09.30 Mon 08:14
“さて、過越といわれている除酵祭が近づいた。祭司長たちや律法学者たちは、どうかしてイエスを殺そうと計っていた。民衆を恐れていたからである。そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。” (ルカ22:1-3) “過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。” (ヨハネ13:1) 主は、愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところな...
ぶどうの木 | 2019.09.29 Sun 05:55
“悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。” (詩篇1:1-2) 詩篇記者は、本当の幸せ、生きる喜びを語っています。それは御言葉を喜びとし、昼も夜も主の言葉から離れず、御言葉を口ずさんで生きること、御言葉を心に抱き、思い巡らし、反すうし、御言葉には力がある事を経験していくことです。御言葉に、思いを潜めていく時、心が引き上げられ、潤いや喜び、温もりが流れて来るのです...
ぶどうの木 | 2019.09.28 Sat 07:51
“イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。” (マルコ4:39-40) そろそろ夕暮れという頃に、主はガリラヤ湖で弟子たちに「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われました。弟子たちと共に舟に乗り込むや、主は疲れのため、とものほうで熟睡されました。その時に大嵐が来て、弟子たちはパニックに陥りました。漁師で、よく嵐にも会い、嵐に慣れている彼らでさえ...
ぶどうの木 | 2019.09.19 Thu 07:10
“つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。” (箴言12:18) 私たちの口から出る肉の言葉は、剣で人を刺すように、心を刺して、傷つけてしまうことがあります。そうではなく、口から出る言葉が相手を癒されるなら、どんなに良いでしょう。舌は両刃の剣であり、人を殺すことも、生かすことも、傷つけることも、慰め励ますこともできるのです。それは、舌の口先の問題でなく、心の問題だと御言葉は言っています。「なぜなら、人の口は、心に満ちているものを話...
ぶどうの木 | 2019.09.18 Wed 06:56
“だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。” (ヤコブ1:21) ある人が、試練の渦中にあり、次から次へと問題が続き、目の前の事態に、心は重苦しく沈み込むようでした。主に助けを求めて祈るのですが、余りの状況の厳しさに、不安と思い煩いに飲み込まれそうでした。そんな時に、遠方の主に在る友人から手紙が届きました。友人も同じように、続く試練が与えられ、目の前の難しい事態に胸が...
ぶどうの木 | 2019.09.17 Tue 07:23
“み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。” (詩篇119:130) ある人が厳しい苦しい試練の中にいた時、気持ちは辛いばかりで、何をどうする事もできませんでした。暗い穴に落ち込んだようで、祈る事も、御言葉を読む事もできませんでした。真っ暗な日々が続いた中、ふと友人たちの手紙やハガキに目が留まりました。それすらも全く読めないでいたのですが、不思議に手が伸びました。背後の人々の切なる執り成しのゆえでした。 様々な友人や信仰の先輩が、励ましてくれて、苦しい気...
ぶどうの木 | 2019.09.16 Mon 07:56
“あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。” (詩篇55:22) 私たちは、日々の生活の中で、様々な悩みが起きる時に、いつも学ぶように、ゆだねる事が大切だとわかっています。しかし頭ではよくわかるのですが、問題は、中々ゆだねる事ができないということです。ゆだねるとは、大きな石を転がすということで、主の上に、重荷、問題を転がしてしまうことであり、きっぱりと主に手放してしまうことです。主に、すべてをゆだねることができたなら、...
ぶどうの木 | 2019.09.15 Sun 18:41
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