ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー (Joseph Mallord William Turner) 1775年~1851年 ロマン主義 1775年イギリス、ロンドン生まれのジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。 幼い頃からよく家の近くにあるテムズ川を描いており、若い時はよく旅をして、各地の風景をスケッチしていた。 当初は写実的な風景を描いていたものの、44歳のときに出掛けたイタリア旅行で、明るい陽光の色彩の絵画を見てから、作風が変わる。 ターナーの描く作品は、写実的に描くのではなく、雲、光、風、大気等をメインに描くようになった。 1851年、76歳で亡くなる。
アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour) 1836〜1904年 フランス・ロマン派 「花の画家」と言われるアンリ・ファンタン=ラトゥールは、 「薔薇を描かせたら、ラトゥールの右に出る者はいない」と言われるほど非常に美しく花を描くことで有名。 初期のころは、家族や仲間をモデルにした肖像画を多く描いていた。 当時、静物画の地位がそれほど高くなかった中、ラトゥールは静物画で成功し、ロイヤル・アカデミーのサロンにも招待されるようになった。
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet) 1814年〜1875年 ハルビゾン派 1814年フランス生まれのハルビソン派であるジャン=フランソワ・ミレー。 フランスのノルマンディー地方の農村に生まれ「農民画家」として 農民の日常生活や農作業風景を描き続けた。 そんなミレーも初期のころは、パリでお金を稼ぐために描きたくもない肖像画を描いていたと言います。 しかし、やはり農村の風景を描きたいということで、農村に移り住み、 午前中は畑仕事、午後は絵画制作という風に作品を描いていった。 そのため、農民を描いた作品が多く残っているのです。
モーリス・ユトリロ (Maurice Utrillo) 1883年〜1955年 1883年12月26日フランス、パリ生まれのモーリス・ユトリロ。 母、シュザンヌ・ヴァラドンは当時の名だたる画家ルノワール等の描く作品のモデルを務めていた。 17歳の時、アルコール依存症で入院。そこでその対症療法として絵を描くことを薦められ描くようになる。 そこから絵画の才能を発揮するようになるが、アルコールからは離れることが出来ず、お酒代を稼ぐためだけに絵を描くようになった。 ユトリロは1年間に600枚以上もの作品を描くようになり、独特の白色を用いてモンマルトルの空気を描いたこの頃は、後に「白の時代」と呼ばれるようになった。
ワシリ・カンディンスキー(Wassily Kandinsky) 1866年〜1944年 1866年12月4日ロシアのモスクワ生まれのワシリー・カンディンスキー。「抽象画の先駆者」と言われるカンディンスキーだが、画家の道に進むきっかけとなったのは、モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意したからである。 カンディンスキーは画家としてだけでなく、舞台芸術家、評論家、教授としても活躍した。 モスクワで活動後、次第に共産党の縛りが強くなるモスクワを去り、やがてはドイツ、そしてフランスへと移住。 1939年にはフランス国籍を取得し、ドイツの占領下のフランスで個展を開催するなどして、ドイツの占領体制に抵抗し続けた。 この頃にはドイツ国内で彼の作品は完全に批判の対象となっており、1937年ミュンヘンで行われた「退廃美術展」に出品された彼の作品は批判を浴びた。 1944年12月13日フランスで死去。
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