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「絹ちゃん」 私がそう呼ばれるのは、いつ以来のことだろう。くすぐったい、というのではなかった。耳慣れない、というのも少し違う。けれど、とうの昔にしまったはずの手紙が、大掃除をしたせいで目の前に現れるようなこの感覚は、長いあいだ味わったことのないものだった。 私は、ただ、端的に、苦しい、と思った。 その呼び方が、変わらないということ。けれど、発せられた声が、あのころとは、変わってしまっているということ。重なったり重ならなかったりするそのふたつのことが、時間の経過を私に思い知らせた...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:52
乗り換えのアナウンスが聞こえた。 通勤時間を過ぎた電車の乗客はまばらで、私たちは誰とも目を合わせることなく、正面の窓から、外の風景を見ることができた。みどりちゃんはもんしろちょうのナップザックをひざに抱えて、やや伏し目がちに、口を少しだけとがらせて、名前を持たない建物たちをぼんやりと眺めていた。 私は、みどりちゃんに話しかけようとして、結局はやめて、駅のキオスクで買った、ポッキーをつまんだ。 木曜日の朝だった。本当ならみどりちゃんは小学校の教室にいて、一時間目の終わりを待って...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:49
その日、みどりちゃんはよく働いた。食器は運ぶし、テーブルは拭くし、ブリの焼き加減を、慎重に見極めたりもしていた。私はそんなみどりちゃんを見ながら、そうめんを水で洗ったり、サラダを盛り付けたりしていたのだけれど、やや簡素にしすぎたか、次第にすることがなくなり、包丁を研いだり、ふきんを漂白したりして、家出少女の家事の様子を見守った。 「みどりちゃん、ブリの調子はどうだい?」 「もう少しでおいしくなります」 「あと、どのくらいかな?」 「もう少し焼けたら夜ご飯です」 みどりちゃんは...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:44
私はサウナに入っていた。私のほかには、サウナに入っている人はひとりもいなかった。もう何時間も入っているような気もしたし、まだ入って間もないような気もした。 温度計を見ると、暑さで目がおかしくなっているのか、「60」のところが「〆0」などと、おかしなことになっていた。おかしいのはそれだけではなく、温度計なのに針にはなぜか秒針がついていて、回るたびに、温度が少しずつ上がっていくのだった。次第に温度は百度を超え、百五十度を超え、私はあまりの暑さに、ここを出ようと思うのだけれど、このサウナに...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:41
階段も廊下も、何もかもが冷たかった。夜のあいだ、屋根を取り外して換気でもしていたみたいに、昨日までの空気は、一晩のうちに真冬の空気に入れ替わってしまっていた。 「ああ、寒いなあ」 暑いとか寒いとか、痛いとか、肌がそれらを感じ取ってしばらく経つと、事実確認的なひとりごとをいってしまうのはどうしてなんだろう、などと思いながら階段を降りる私は、目に入る何もかもが、昨日よりもあまりにも明るいことに気が付いていた。たんたんたん、と最後の数段を駆け下りて、トイレの前のカーテンを少しだけ開けると...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:38
夏はそうめんに限る、といったのは、私の母だった。 「夏にごちゃごちゃとご飯用意なんか面倒やろ。夏はそうめんに限る」 「そっちの意味なんや」と笑った私も、今では、母の言葉の意味がよくわかる年齢になった。ご飯と、サラダと、そうめん、それにあと一品か、二品。夏の夜の一週間のうち、半分はこのメニューが続く。私は夏には汁物を食べないので、そうめんは重宝するのだった。 自分で買ったのか、誰からかもらったのか、よく覚えていないけれど、いつも台所の棚にはそうめんの箱があった。箱から、一束だけを...
nothing but a headache | 2023.03.16 Thu 01:33
JUGEMテーマ:自作小説 ここのところ話題にすることの多かった「KAC(カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンズシップ)2023」のラスト、 第7回目のお題が発表されました。 今回は「いいわけ」だそうです。 汎用性が高いので、いろいろ書けそうな気がしますが、どうなるか。 お題ごとの新規投稿が規約の条件になっているのですが、 まず、非公開状態になっていた小説を新規で投稿しました。 (再公開にしたわけではなく、新規で小説IDが発生した状態です) 『...
ハリネズミの幸福 | 2023.03.15 Wed 15:51
JUGEMテーマ:自作小説 おはようございます、粟生です。 カクヨムKAC2023の5回目のテーマ「筋肉」6回目のテーマ「アンラッキー7」で書きました。 【筋肉】 『ナオのちからこぶ』(短編小説・小学生が主人公のお話) 『そもそもダンベル持てる?』(体験エッセイ) 【アンラッキー7】 『合計金額「777円」のレシートのつくり方』(短編小説) 『朝日奈棗という男』(エッセイ・10年前推していたキャラの話)
ハリネズミの幸福 | 2023.03.14 Tue 09:33
「さて、いったいどうしたものかねえ」 私の鼻から出たため息が、お茶の湯気を揺らした。私とみどりちゃんは、ちゃぶ台をはさんで、ふたりして熱いお茶をにらんで座っていた。みどりちゃんは形ばかりなのか、あるいは本当なのかわからないけれど、今までに見たことのないくらいに、神妙な顔つきをしていた。視線はやや下を向いて、お茶と急須とをいったりきたりして、足許はといえば、正座なんかしていた。 「そわ子さんごめんなさい。今はまだいえないけれど、これにはいろいろと事情があるんです」 「まったく、無謀と...
nothing but a headache | 2023.03.14 Tue 00:50
からん、と網戸の開く音がしたのは、お昼ご飯が終わったばかりの一時すぎ、誰もくるはずがないのに開けられた網戸からは、聞きまちがいのような、おとといから聞こえてくるような、何といえばいいのかよくわからないけれど、とにかくそれは、とてもかわいらしい、黄色いぼうしの似合うような、手をつなぎたくなるような音なのだった。 「お客さん。それも小さな、かわいらしいお客さん」 口に出してはみたものの、それにしても誰だろう、身に覚えがなかった。蛇口を閉め、次いで聞こえた「ごめんください」の声に、手を拭...
nothing but a headache | 2023.03.14 Tue 00:20
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