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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第13回) 川喜田晶子

  折口信夫の〈青あざ〉?    近代短歌が前近代への反発から成り立ったという経緯は、「何物も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろひ」を負って来ないものはない。」(「歌の円寂する時」)という折口の言葉を再び想起させる。折口は伝統的な命脈を保ってきた短歌という形式についてこう語りながら、己れを含めた万物の宿命を陰鬱に塗り上げてみせたが、近代短歌に限ってみると、あるいは的確な批評と言えるかもしれない。  正岡子規の提唱した〈写生〉によって、短歌に近代的な命が吹...

星辰 Sei-shin | 2017.02.23 Thu 15:35

近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第2回) 川喜田八潮

       3    ところで、これまで私が展開してきた、〈存在への不信〉とそれを超克(超越)せんとする〈独我論〉的認識論に根ざした芸術至上主義者としての小林秀雄の像は、大戦期の日本古典に回帰した『無常といふ事』以後の、とりわけその延長上にある戦後における反近代主義的で非合理主義的な思想家としての彼のイメージを知る者にとって、一見なんとも面妖な印象を与えるはずである。  なぜなら、本居宣長やベルクソンに傾倒する小林秀雄の世界観は、存在と現象、客観と主観、物質と精神という西欧...

星辰 Sei-shin | 2017.02.21 Tue 19:10

〈生き難さ〉へのアプローチ

 これまで、KJ法を伝える仕事を通して、実に多彩な現場の方々と出会ってきました。  そのことで、間接的ながら現在の多彩な〈生き難さ〉というものを垣間見ている気がいたします。  最近、そのような〈生き難さ〉へのアプローチが、いろいろな現場において変容しつつあるという感触を抱きます。    「病気」ではなく「人」を診るのはもちろんのこと、「人」の背景や歴史や家族や地域といったものまで含めて「診る」ことの重要性。  身体的・精神的・社会的な「健康」だけでは不十分であり、霊的(スピリチ...

川喜田晶子KJ法blog | 2017.01.30 Mon 15:09

近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第1回) 川喜田八潮

  *この評論は、1999年の3月に発行された「星辰」第二号で発表されたものである。  当初は、「近代批評の終焉」(上)・(中)・(下)と題して、「星辰」第二号〜第四号の三回にわたって連載されたが、その内、(上)だけを今回独立した論考として掲載することとした。(ただし、ごくわずかな字句と文の手直し・補いを施したことをお断りしておく。)  小林秀雄は、私にとって縁の深い文学者の一人である。「無常といふ事」「モオツァルト」などの古典論の数々には、かつて強いインパクトを受けたことがあるし、講...

星辰 Sei-shin | 2017.01.28 Sat 15:54

〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第11回) 川喜田晶子

  折口信夫の〈青あざ〉?    戦後の詩篇「贖罪」において折口が描いた「すさのを」も、戦前は異形の者としての罪業意識とそれがゆえの〈妣(はは)が国〉への憧憬との、双方を総身に満たした「素戔之嗚尊(すさのおのみこと)」として想い描かれていたこと、しかもその折口的な魂の偏りを、われわれの祖先とも明治・大正の大衆とも共有し得るという認識が、次のような一節からわかる。  敗戦によって「虚無の塊り」としての「すさのを」を造形しなければならなくなるよりも前の、そもそもの折口らしい〈まれ...

星辰 Sei-shin | 2016.12.19 Mon 15:53

霧芯館KJ法ワークショップ2016其ノ二

 さる12月3日、「霧芯館KJ法ワークショップ2016 其ノ二」を開催致しました。(於・京都テルサ)  年二回開催するワークショップは、夏と冬とで完結する物語です。  でも、霧芯館での研修を受講済みの方であれば、冬のみのご参加も可能としておりますので、今回もたくさんの方が京都にお集まりくださいまして、KJ法による熱いご交流の機会を楽しまれました。    今年のテーマは、「〈初対面〉のラビリンス」だったのですが、このテーマ設定は、我ながら「神ってる」としか言いようがなく、実に身近で誰でも必ず...

川喜田晶子KJ法blog | 2016.12.10 Sat 18:48

宮沢賢治童話考(連載第10回) 川喜田八潮

       21   「三人兄弟の医者と北守将軍」の韻文形において、作者は、北守将軍と兵士たちによって象徴される無名の生活者たちの哀切な生涯のイメージを、詩的なリズムを通して、「うたう」という行為の中に包摂してみせている。  そのことは、一面において、個的な生の不条理性を自然意識の内に解消することで、ある種のカタルシスをもたらすというメリットを生んでいるが、他面では、物語の時空を、生活者の〈生身〉の匂いを大幅に希釈したヴァーチャルな観照者的風景へと変質させてしまっている。 ...

星辰 Sei-shin | 2016.11.23 Wed 19:13

七〇年代の分岐点―初期藤沢周平作品の闇―(連載第5回) 川喜田八潮

       12    「溟い海」のラストで、チンピラに殴られ、ふらふらになりながら深夜に帰宅した北斎は、体の血を洗い流し、全身の痛みをこらえながら喉の渇きをうるおすと、行燈のそばで夜着をかぶって、描きかけの仕事にとりかかる。    絹布の上に、一羽の海鵜(う)が、黒々と身構えている。羽毛は寒気にそそけ立ち、裸の岩を掴んだまま、趾は凍ってしまっている。  北斎は、長い間鵜を見つめたあと、やがて筆を動かして背景を染めはじめた。はじめに蒼黒くうねる海を描いたが、描くより...

星辰 Sei-shin | 2016.10.20 Thu 11:36

宮沢賢治童話考(連載第9回)  川喜田八潮

       20    宮沢賢治の夢みた生身の接触と絆のイメージを、三つの童話作品をサンプルにしながら追跡してきた。  今まで取り上げてきた作品は、あくまで、孤独な個人の内面のドラマとして造型されたものだが、最後に取り上げる「三人兄弟の医者と北守将軍」は、人間同士の生身の接触に、ある種の社会的な拡がりを与えた野心作であるといっていい。  作者はここで、極度に単純化され誇張されたユーモラスな童話的牧歌性を巧みに活かしながら、ひとつの理想的な〈自然分業〉の世界を提示してみせて...

星辰 Sei-shin | 2016.10.17 Mon 15:41

〈神歌唱〉と出会う

   私にとっては、言葉はいつもなんらかの映像を喚起するものなのですが、そうでない方も多いようです。  ずっと、誰もが言葉と映像はセットなのだ、と思い込んで生きてきたのに、そうではないということがわかった時はかなりショックでした。  言葉でさえあれば、「桃」であれ「里山」であれ「近代」であれ、いつでもなんらかの映像が浮かびます。「100−20」というだけでも、私の頭の中では、100センチのリボンから20センチをチョキっと切り取ったりしていますし、「三分の一」という時にも、円いホットケーキが均...

川喜田晶子KJ法blog | 2016.09.29 Thu 21:44

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