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芥川龍之介と闇(連載第4回) 川喜田八潮

       9    己れの人生を嘲弄し、破滅と死に向かって刻一刻と自身を追いつめてゆく、目に視えぬ悪魔的な力の存在を、象徴的・暗示的に感受する「歯車」の作者の体験には、幼児期から少年期にかけて彼の魂の〈下地〉を培ってきた、江戸後期以来の下町共同体的な〈闇〉の感覚の残滓が、正常な〈表現〉を封じられたがために、歪められた形で痛ましく露呈しているとみることもできる。  それは、土俗的でアニミズム的な、野性味のある生命感覚に対する、近代合理主義的なまなざしによる〈抑圧〉によっても...

星辰 Sei-shin | 2017.05.25 Thu 12:53

「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第1回) 川喜田八潮

  *この「『中期』太宰治の変容」は、「1998年・秋」に発行された「星辰」創刊号に掲載されたものである。当初は、「太宰治と〈悪〉」という統一タイトルのもとに、連載評論の「第一回目」として発表された。この連載は、「星辰」創刊号〜第四号までの計四回にわたり、その内、創刊号と第二号には「中期」太宰論、第三号と第四号には「後期」太宰論が分載されたが、今回、ブログ「星辰」に再掲するにあたり、改めてその内容を慎重に検討した結果、「中期」太宰論の二論考(「『中期』太宰治の変容」及び「『右大臣実朝』と...

星辰 Sei-shin | 2017.04.26 Wed 14:30

〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第15回) 川喜田晶子

折口信夫の〈青あざ〉?   「葛の花」の一首と同様の〈死〉の風景への憧憬は、次の歌にも顕著である。    人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ   「葛の花」の歌ほど、〈死〉に鮮やかさを見ているわけではないが、この情景に感受した「かそけさ」に、折口が憧憬を抱いていることがわかる。  人の生き死にと馬の生き死にとの重さに大きな違いを見出していない歌いぶりである。その違いを薄れさせてゆくかのような旅寝の重なりこそが主題とも見える。人も馬も旅の...

星辰 Sei-shin | 2017.04.23 Sun 13:17

無駄に使うな、贅沢に使え。

 ずいぶん前のことですが、バイオリン作りの職人さんが、「木は、無駄に使うな、贅沢に使え。」と語っておられる記事を読んだことがあります。  これは、素材としての木の、良い部分を効果的に使ってバイオリンにする、といった平板な意味ではなかろうとおもわれます。  木には木としての命があり、その全体を生きています。その「部分」が使われてバイオリンとなるはずですが、使われない部分ははたしてただ廃棄されるだけなのでしょうか?  私には、木が「ここを使ってくれ」と訴えかけてくる、そこを使うことが、木...

川喜田晶子KJ法blog | 2017.03.31 Fri 15:31

芥川龍之介と闇(連載第2回) 川喜田八潮

       4    かつて芥川龍之介は、処女小説「老年」(大正三年[一九一四]作)において、次のような描写を紡ぎ出すことができていた。   「長い廊下の一方は硝子障子(ガラスしょうじ)で、庭の刀柏(なぎ)や高野槙(こうやまき)につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川のそらをちりちりと銀の鋏(はさみ)をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外(そと)も内外(うち)もしんとなった...

星辰 Sei-shin | 2017.03.18 Sat 18:30

〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第13回) 川喜田晶子

  折口信夫の〈青あざ〉?    近代短歌が前近代への反発から成り立ったという経緯は、「何物も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろひ」を負って来ないものはない。」(「歌の円寂する時」)という折口の言葉を再び想起させる。折口は伝統的な命脈を保ってきた短歌という形式についてこう語りながら、己れを含めた万物の宿命を陰鬱に塗り上げてみせたが、近代短歌に限ってみると、あるいは的確な批評と言えるかもしれない。  正岡子規の提唱した〈写生〉によって、短歌に近代的な命が吹...

星辰 Sei-shin | 2017.02.23 Thu 15:35

近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第2回) 川喜田八潮

       3    ところで、これまで私が展開してきた、〈存在への不信〉とそれを超克(超越)せんとする〈独我論〉的認識論に根ざした芸術至上主義者としての小林秀雄の像は、大戦期の日本古典に回帰した『無常といふ事』以後の、とりわけその延長上にある戦後における反近代主義的で非合理主義的な思想家としての彼のイメージを知る者にとって、一見なんとも面妖な印象を与えるはずである。  なぜなら、本居宣長やベルクソンに傾倒する小林秀雄の世界観は、存在と現象、客観と主観、物質と精神という西欧...

星辰 Sei-shin | 2017.02.21 Tue 19:10

〈生き難さ〉へのアプローチ

 これまで、KJ法を伝える仕事を通して、実に多彩な現場の方々と出会ってきました。  そのことで、間接的ながら現在の多彩な〈生き難さ〉というものを垣間見ている気がいたします。  最近、そのような〈生き難さ〉へのアプローチが、いろいろな現場において変容しつつあるという感触を抱きます。    「病気」ではなく「人」を診るのはもちろんのこと、「人」の背景や歴史や家族や地域といったものまで含めて「診る」ことの重要性。  身体的・精神的・社会的な「健康」だけでは不十分であり、霊的(スピリチ...

川喜田晶子KJ法blog | 2017.01.30 Mon 15:09

近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第1回) 川喜田八潮

  *この評論は、1999年の3月に発行された「星辰」第二号で発表されたものである。  当初は、「近代批評の終焉」(上)・(中)・(下)と題して、「星辰」第二号〜第四号の三回にわたって連載されたが、その内、(上)だけを今回独立した論考として掲載することとした。(ただし、ごくわずかな字句と文の手直し・補いを施したことをお断りしておく。)  小林秀雄は、私にとって縁の深い文学者の一人である。「無常といふ事」「モオツァルト」などの古典論の数々には、かつて強いインパクトを受けたことがあるし、講...

星辰 Sei-shin | 2017.01.28 Sat 15:54

〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第11回) 川喜田晶子

  折口信夫の〈青あざ〉?    戦後の詩篇「贖罪」において折口が描いた「すさのを」も、戦前は異形の者としての罪業意識とそれがゆえの〈妣(はは)が国〉への憧憬との、双方を総身に満たした「素戔之嗚尊(すさのおのみこと)」として想い描かれていたこと、しかもその折口的な魂の偏りを、われわれの祖先とも明治・大正の大衆とも共有し得るという認識が、次のような一節からわかる。  敗戦によって「虚無の塊り」としての「すさのを」を造形しなければならなくなるよりも前の、そもそもの折口らしい〈まれ...

星辰 Sei-shin | 2016.12.19 Mon 15:53

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