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北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

たらんてら踊りつくして疲れ伏す深むらさきのびろうどの椅子 『桐の花』   「踊子」と題する一連(暮れゆく春と踊子の群れにまつわる物憂い歌が数首)の中の一首。 「たらんてら」や「びろうど」の平仮名づかいが退廃的な空気を深める。 「たらんてら」は、毒蜘蛛タランチュラに因んだ踊り「タランテラ」であろう、この蜘蛛に咬まれると、死ぬまで踊り続けなければならないとも。つまり、芸術至上主義的な生きざまの喩として一首が顕ち上がっている。  一度「詩」という蜘蛛に咬まれた者は、死ぬまで「詩」を...

星辰 Sei-shin | 2021.04.20 Tue 12:04

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

アーク燈点れるかげをあるかなし螢の飛ぶはあはれなるかな 『桐の花』    闇夜を舞う螢ではない。白秋の美意識を震わせるのは、文明の象徴であるところの「アーク燈」が点(とも)る「かげ」を飛ぶ螢である。  近代文明の「光」とその「かげ」という振幅の内を舞う螢は、どこか腺病質な匂いをたてている。伝統的な「螢」のもつはかなさとは別種の、己れの居場所に惑っている者の匂いである。近代の光によってはかなくされたその「あるかなし」の存在感こそが、白秋にとっては、逆説的にリアルなものであったろう。 ...

星辰 Sei-shin | 2021.04.19 Mon 13:00

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

魔法つかひ鈴振花の内部に泣く心地こそすれ春の日はゆく 『桐の花』    鈴振花(すずふりばな)の内部(なか)で泣く魔法使いによって過ぎゆく春を表現することの、当時における斬新さはいかばかりだったか。  絵にすればメルヘンチックであやうい、つまりおめでたい感傷的な余剰としての表現になりかねない図柄の歌であるが、白秋の歌によって喚起される映像には、不吉ともいえるほどの世界との不協和音がにじみ出ている。  この魔法使いは、己れが世界に対して振るうことのできる力をうまく統御できない。よ...

星辰 Sei-shin | 2021.04.18 Sun 12:14

山仲間に見守られての往生――「幸いなるかな久弥」

JUGEMテーマ:日本文学  今日、深田久弥が急逝した茅ヶ岳山麓で午前8時から碑前祭が行われ、その後記念登山が行われる。チラシには雨天決行とあるが、東京は晴れているから、多分現地でも好天に恵まれていることと思う。    前日の朝、いつもより元気なくらいだった夫を送り出した妻の志げ子にとって、山で倒れたの一報、ついで警察からの脳卒中で急死の連絡、その後に続く通夜、葬儀……「本当に主人は茅ヶ岳でいってで逝ってしまったのであろうか」と、三七日が過ぎた今でも「ひょっこり旅から帰っ...

見る 読む 歩く | 2021.04.18 Sun 10:53

深田久弥没後50年深田祭――韮崎市

JUGEMテーマ:日本文学  『日本百名山』で有名な深田久弥が、茅ヶ岳登山中に急逝してから今年は節目の50年。韮崎市では今日明日の二日間にわたって、追悼のイベントが開かれる。    1昨年の48回深田祭には、記念登山もするつもりで、前日は石和温泉のかんぽの宿に予約、早めに着いて観光案内所に寄ったら、当地が深沢七郎や飯田蛇笏ゆかり地とわかった。それでそれぞれの生家や碑を尋ねて歩き回って疲労、体調崩してしまい、翌日は登山どころでなくなった。それで、午後に開催される碑前祭なんとか参加したの...

見る 読む 歩く | 2021.04.17 Sat 18:49

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

乳のみ児の肌のさはりか三の絃なするひびきか春のくれゆく 『桐の花』    春の暮色を喩えるに、「乳のみ児の肌のさはり」と「三の絃(いと)なするひびき」を列挙してみせる。  乳児の肌ざわりへの退行が片方にある。  一方には、三味線のもっとも高音の、つまりもっとも細い絃である「三の絃」をなすり上げて奏でられるひびきがある。つまり、そこには、追い詰められて初めて露出する女性の官能性の極点の姿をとった、感覚の解放がある。男性であるゆえに、解放することに罪の匂いを感じている白秋自身の、秘...

星辰 Sei-shin | 2021.04.17 Sat 13:16

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

ふはふはとたんぽぽの飛びあかあかと夕日の光り人の歩める 『桐の花』    退嬰的であることが同時にはじめて世界から〈傷〉を受けた記憶への遡行でもある、という風に、白秋の資質は形成されたのだろう。 「ふはふはとたんぽぽの飛び」というイメージだけならば、ひたすらに世界がやわらかかった乳児期の世界風景への素直な回帰願望とも見えるが、そこに射す夕日は「あかあかと」鮮やかで、白秋の「あかあかと」には、まどろみへの希求に水をさすような毒々しさがある。いや、むしろ、まどろみを壊された瞬間の記憶...

星辰 Sei-shin | 2021.04.16 Fri 16:33

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

  いつしかに春の名残となりにけり昆布干場のたんぽぽの花 『桐の花』    非常にハイカラな西洋趣味の素材が非日常的で退嬰的な空気をあふれさせるかと思えば、「昆布干場のたんぽぽの花」のように俳句的な日常の異化が顕著な作風もあり、『桐の花』は白秋のその後の歌風の展開を予期させるに十分な振幅をもつ。  ただ、己れの歌おうとする風景でありながら、それをひどく怖れているような感覚が、白秋の歌にはつきまとう。  それは神秘や自然への〈畏怖〉というよりも、風景が作者を傷つけに来るのに...

星辰 Sei-shin | 2021.04.15 Thu 12:37

北原白秋『桐の花』を読む? 川喜田晶子

  指さきのあるかなきかの青き傷それにも夏は染みて光りぬ 『桐の花』   「指さきのあるかなきかの青き傷」に思いが集まるということは、己れとその傷との間に断絶があることの表われであり、かつその断絶が、己れをその傷によって象徴させたいという希みが生じる契機ともなるということだ。 〈身体〉というものが断絶や孤絶の感覚によって痛むとき、それがしたたかな表現に連結してゆくさまをまじまじと見るような一首である。  指さきの傷にも「夏」は染みて光る。それは全身を「夏」にさらわれてしま...

星辰 Sei-shin | 2021.04.14 Wed 12:19

北原白秋『桐の花』を読む?  川喜田晶子

 手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ 『桐の花』    泣きたいのが作者なのか、桐の葉の青さを反射して薄青い新聞紙なのか、作者にとってもその境界があいまいになった一瞬を鮮烈に掬い取っているようにおもわれる。  ほんとうは桐の葉を透く陽ざしを、作者はじかに浴びているのだが、ふと身に沁みそこねたその感覚を、新聞紙などが代わって浴びてこともあろうに薄青く身を染めているではないか。その驚きに一瞬遅れて、さればわが身もかく薄青く染まっているはずなのだ、と気づく屈折したプロセ...

星辰 Sei-shin | 2021.04.13 Tue 12:36

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