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“主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。”(ヘブル12:6-7) この世の信心は商売繁盛、家内安全、交通安全、五穀豊穣です。しかし、聖書は、主は、私生児は懲らしめませんが、神の子供として扱われている実子を、懲らしめ、苦しめ、試みの試練があると語っています。主は、私たちを訓練し、鍛錬を与えてくださいますが、訓練を...
ぶどうの木 | 2020.03.02 Mon 08:27
“信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。”(へブル12:2) 不信仰とは、信仰が足りないことではなく、主を仰がないで、自分の力、自分の判断、自分の知恵で行動することなのです。つまり、主を頼らず自分を頼り、主ではなく自分を神として生きる事です。自分の人生の全主導権を、自分が堅く握って生きることなのです。 車の運転席...
ぶどうの木 | 2020.03.01 Sun 05:58
“わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。”(イザヤ55:8) ある老齢の人が証しました。 今までの歩みを振り返る時に、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる」の御言葉の通りでした。自分の思い通りでは無いどころか、思い通りにならない事の方が多くありました。 「人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけがなる」(箴言29:21) の通り、自分のプランが様々あ...
ぶどうの木 | 2020.02.29 Sat 08:00
“なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。”(ローマ8:2) パウロは、善を行ないたいのに、逆に悪を行なってしまうと告白しています。“善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。”(ローマ7:21) パウロは、 自分には「悪が宿っているという法則」を見ると言いました。法則と原理は同じ意味で、法則とは、例外が決して無く、一つでも例外があれば法則ではありません。私たちの中にも、法則...
ぶどうの木 | 2020.02.28 Fri 08:14
“人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。”(箴言29:25) 「人を恐れると、わなに陥る」とあります。エジプトに下った時に、アブラハムは、自分に危害が及ぶのではと、人を恐れたために、妻であるサラを自分の妹だと嘘をつきました。それで、パロはサラを自分のところに召し入れました。 この時に、主が介入され、サラの事で、パロはアブラハムに自分の妻を連れて出るようにと、パロとその家をひどい災害で痛めつけられた。しかし、主の取り扱いゆえに、アブラハムとサラは助...
ぶどうの木 | 2020.02.27 Thu 07:37
“雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。”(マタイ7:25) 岩の上の家と砂の上の家は、外見自体は同じような家でした。しかし、嵐が来た時に、二つの違いがあらわになり、岩の上の家は、どんなに暴風雨が吹きつけ洪水が来ても、びくともせず、砂の上の家は倒壊してしまいました。外側は、全く同じでしたが、その違いは家の土台にありました。 その土台とはイエス・キリストであり、御言葉を聞くだけでなく、聞いて実行す...
ぶどうの木 | 2020.02.26 Wed 07:33
“そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」。”(使徒6:2-4) 使徒の時代に、信者が増えると問題が生じ、ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、当時貧しい人々もいて食事の配給をしていましたが、自分たちのやもめが、おろそ...
ぶどうの木 | 2020.02.25 Tue 08:37
“神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。”(詩篇51:17) サウル王とダビデ王は、どちらも王であり、主の前に罪を犯しましたが、時に比較されます。ダビデの罪は赦され、サウルは神から退けられてしまいました。どこがどう違ったのでしょうか。 サウルは、敵のすべてのものを聖絶せよとの命令を受けた時に、最良のものを惜しみ、どうでも良いものだけを聖絶しました。つまりサウルは、主に従わず、自分の思いに従って、主の言葉を退けたので...
ぶどうの木 | 2020.02.24 Mon 08:10
“主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。”(創世記29:31) レアとラケルは、姉妹であり、共にヤコブの妻でした。ヤコブは、妹のラケルを愛していたため、姉のレアはずっとラケルとの比較の中で、満たされない辛い立場にあり、劣等感に生きていました。主は、レアを憐れまれ、子供を産みました。「ルベン」と名づけ、「主が悩みをご覧になった」と言いました。子供により、今こそ夫は自分を愛すると思いましたが、そうなりませんでした。 第二子のシメ...
ぶどうの木 | 2020.02.23 Sun 06:03
“あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―”(エペソ5:8) ある人が、初めて教会へ行った時に「あなたは罪人です」との説明を受け、正直、ムッとし反発を感じました。真面目に、一生懸命に生きて、非行も犯罪歴も無いのに、どうしてかと思いました。しかし、教会で聖書の学びを続ける中で、「罪人」との言葉がずっと耳を離れず、色々考えていました。 思いが巡る中で、今まで全く考える事もなく、目にも留まらなかった心の内側に思いが至り...
ぶどうの木 | 2020.02.22 Sat 07:48
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