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JUGEMテーマ:歴史 その2からの続き モダニズムのことなどほとんど分かっていない身ながら、このタイトルは少々恥ずかしいくらいに大げさすぎたようです。 今さらながらオチをどのように持ってくるかが悩みどころなのですが…(^_-)-☆ 《5》モダニズム 『コンサイス20世紀思想事典』(三省堂 1997年刊)を参考にすると、モダニズムという言葉が「近代主義」とも言われることがあるように、広義においては18〜19世紀の市民革命・産業革命を経てもたらされた「近代化」と同義と理解して...
アルカイック・ハウス | 2024.10.06 Sun 01:05
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き 《3》曲線の縄文 縄文人たちの思考表現が読み取れる数少ないものとしての土器や土偶の紋様や形状から考えるとき、私は縄文を“曲線の文化”と呼んでよいと考えています。 むろん完全に曲線だけで表現されると言っているわけではありません。 土器の紋様は時期や地域によってそれぞれの特徴がありますし、一個の土器に記されたものには曲線もあれば直線もあるわけです。 ただ、縄文の全盛期といってもよい縄文時代中期から後期に出現する土器や土...
アルカイック・ハウス | 2024.09.29 Sun 23:04
JUGEMテーマ:歴史 千利休については、戦国時代の教科書に何の前触れもなく登場し、戦国大名と対等な関係を築きつつ、最終的には豊臣秀吉との間の不和が原因で切腹を命じられ、歴史の舞台から消える。 しかし、背景事情を知ると、戦国武将と対応の付き合いが可能な立場にあったことがわかる。「生きる知恵を学ぶ」(栗田勇)から該当箇所を転載させていただく。 ////////////////////////////////// 南北朝時代から大名の周辺に、茶頭というお茶を出したり身のまわ...
にきみたまの道 日本史探訪 | 2024.09.27 Fri 11:59
過去の世界の歴史の中で9月21日には何があったのか見ていたら、マルコスが戒厳令を布いた日と分かったが、フィリピンのメディアはほとんど伝えていなくて、これは現在の大統領がマルコスの息子だから忖度しているのかと思った。 【写真−1 2・26事件時に上げられた反乱軍に投降を促すアドバルーン】 戒厳令は憲法を停止して基本的人権など無視して一時的かつ強権的に政治を動かす道具で、その多くは政権を転覆するクーデター時に発布されるようにその主役、或いは手先になって動くのは軍と警察で多...
セブ島工房 | 2024.09.24 Tue 19:57
JUGEMテーマ:歴史 現役を離れてから日経新聞に目を通すことが少なくなっていたのですが、友人から教えてもらったのが9月2日の朝刊から始まった『渦巻く縄文土器10選』 というシリーズの記事でした。 渦巻の紋様に着目して代表的な10個の土器を取り上げています。 中には私が以前取り上げた「片目の顔面把手」(2022年5月5日ウィンクする土偶〜身代わりの神)もありましたが、それ以外は土器への関心が薄い私にとって見たことがなかったり、あるいは見たことがあっても記憶から飛んでいたりしたものが登場していました...
アルカイック・ハウス | 2024.09.23 Mon 00:02
JUGEMテーマ:歴史 半藤一利(はんどう かずとし)の著作『日本のいちばん長い日』は1965年に発刊されて、1967年に映画化されました。日本が無条件降伏で終戦を受け入れた様子を、当時陸軍大臣だった阿南惟幾(あなみ これちか)の義弟、竹下正彦が終戦までの顛末を『大本営機密日誌』として書いたものをベースに書かれたものが『日本のいちばん長い日』です。2015年にリメイクされたものがAmazon primeで公開されています。なお、竹下正彦は徹底抗戦派でした。
上高地 仁の真・百斤の黄金 | 2024.09.16 Mon 19:13
JUGEMテーマ:歴史 その3からの続き 《6》信仰の個別性 まず縄文草創期から早期・前期の土偶のサイズについて考えてみます。 『縄文土偶ガイドブック』の中で三上徹也さんは、草創期から前期にかけてが半定住状態であったため、移動に便利なように小さなサイズになったのだろうと推察しています。 しかし、見てきたように粥見井尻遺跡(三重)や相谷熊原遺跡(滋賀)では住居跡や小さな集落跡が見つかっており、すでに定住化が進んでいたと考えられます。 またこの頃の円筒土器が数十?の高さになる...
アルカイック・ハウス | 2024.09.08 Sun 00:31
JUGEMテーマ:歴史 インドネシア独立との比較となるが、ベトナム独立のために戦った残留日本兵についての情報は極端に少ない。 その理由の一つとして、ベトナム残留日本兵の中心人物が中野学校卒業生だったことが挙げられる。 デイリー新潮の記事によると、小野田寛郎氏がベトナム残留日本兵の中野学校同期生(谷本喜久男少尉、1922〜2001)がおり、その方が中心となって、「フランス領インドシナでの駐留フランス軍の武装解除、、阮朝バオ・ダイ帝を擁したベトナム独立工作(明号作戦)、終戦後は「...
にきみたまの道 日本史探訪 | 2024.09.07 Sat 21:57
真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦のキーマンは山本五十六や南雲忠一ではありませんでした。実際の戦術を戦場に落とし込むのは、第一航空艦隊の航空参謀の源田実中佐であり、旗艦赤城の飛行隊長の淵田美津雄中佐でした。当時の日本海軍は戦艦を主力とする艦隊派が中心であり、異端的に航空機を主力とする航空主兵派が論陣を張っていましたが、日本では海軍が戦ったことは日露戦争以来なく、議論しても決め手はありませんでした。
上高地 仁の真・百斤の黄金 | 2024.09.06 Fri 17:59
ビーチリゾートで時間を過ごす観光客も飽きて来るので、そういった観光客向けに市内や郊外へのツアーが多く催されているが、そのツアーも決まった場所しか行かず地元に住んでいると新鮮味は感じないが、今回はそういった場所の建物を中心に綴ることにする。 【写真−1 セブで初めて生まれた元税関の建物を活かした国立博物館】 スペインがフィリピンを支配した初期にイスラムからの襲撃を防ぐためにセブに木材を使って砦が築かれ、後の18世紀に今も残る石造りの『サンペドロ要塞(Fort San Pedro)...
セブ島工房 | 2024.09.03 Tue 19:18
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